ＤESTINY 第四章～伝えたい想いを胸に秘め～ 65.アサギとマビル

ずあー

　コトン。

　アサギは、手にしていたシャープペンシルを机に置いた。自室にて、宿題をしていたアサギは窓から月を見上げる。

　唇をキュ、と結び乱暴に開いていたノートと教科書を閉じると、窓に駆け寄った。

　夜風が入るように網戸にしておいたのだが、それを開けると迷うことなく窓から身を投げる。軽やかに地面へと降りたアサギは振り返ることなく、庭の一角へと急いだ。

　網戸は何事もなかったかのように閉まり、カーテンが揺れている。

　家の前の道路で、散歩中の犬が吠えた。

　向かう先は、異世界だ。アサギの庭と惑星クレオは繋がっている。転送陣に入ると、アサギの身体は願う場所へと移動する。

　瞳を開けば、そこはディアスにある館の一室。

　仲間達が集う、異世界での別荘。

　静まり返っているその一室の窓から、アサギは地球と同じように身を投げた。

　目の前に、大きな月。地球よりも鮮明な色合いだ。先程地球で見た月とこの目の前の月は、おそらく別物だろうとアサギは思っていた。宇宙は広大で、太陽系と似たような空間が多々存在するに違いないと。

　地面に足がつくことはなく、アサギは空中を駆け巡る。

　胸騒ぎがしていた。今行かねばならないと、身体が勝手に動いている。誰かが先導してその手を引くように、導かれるままにアサギは惑星クレロの宙を飛んだ。

　眼下に広がる街を離れ、大河を越える。緑の木々が揺れる森を抜けて、険しい山脈に到達すると、つい最近見たような気がしてきた。

　軽く乱れた息を整えたアサギは、奇妙な遠吠えに髪を逆立たせる。

　犬の鳴き声に聴こえた。

　一匹ではなく、三匹に思える。普通の犬ではない、地に轟くようなその声の身体はもっと巨大だ。

　険しい茂みの中で、何かが動いた気がして目を凝らす。

　六つの光りが揺れて消えたのを確かに捉えた、迷うことなく暗闇の中へ飛び込む。

　そこに居た何かを探して、森の中を走り回った。奇妙な事に、森の動物達が忽然と姿を消している。隠れているのか、怯えて逃げたのか。鳥の姿も確認できない。

　微かに血の香りがして、立ち止まる。鼻を引くつかせると、風に混じって漂ってくる。

　

「マビル」

　呟いたアサギは、眩暈がして近くの大木にしなだれた。無我夢中で移動したが、体力も精神力も限界を超えていたらしい。長距離を飛行したのも初めてだった、その事に気づき顔を顰める。

　一度疲弊を感じてしまうと、一気に押し寄せて来た。脚が生まれたての小鹿のように震え出し、立っていられなくなる。

　ひきつけを起こしたように、ガクガクと身体を揺らしながら木の根元に倒れ込んだアサギは、身体中を震わせた。辛うじて瞳は開いていたが、身体は言うことを聞かない。

　いつしか、眠りに落ちていく。

　その瞼が、ゆっくりと閉じていった。

「……マビルを、助けないと」

　唇をそう動かす。

　マビルを助けなければならない、彼女は生きなければならないのだから。こんなところで死なせるわけにはいかない。

　アサギが倒れた場所からそう遠くない場所で、マビルは倒れていた。

　同じように、倒れていた。二人の右手を伸ばしていくと、丁度重なり合う。互いを求めるように、倒れている。

　どちらも、意識はない。

　けれども、身体は動いた。

　マビルの身体は、緑の光に包まれて静かに宙に浮く。そのまま、壊れ物でも扱うように暗い森の中を移動していった。

　戸惑いながら進むその身体は、安全そうな洞穴を見つけると躊躇せずそこへ入っていった。

　古代人間が住処にしていた場所かもしれないし、偶然の産物かもしれない。

　奥に水源を確認したので、緑の光はマビルの身体を仰向けにして岩肌に降ろす。

『マビル』

　傷つき、痛々しい愛しい彼女を名残惜しそうに撫でると、緑の光は洞穴からゆるりと出た。

　そのまま、アサギの体内へと戻っていく。

　

「っ……ぅ」

　額を押さえて、アサギが起き上がる。

　木々の間から見え隠れする月を見上げたアサギは、虫の鳴き声に耳を傾ける。

　森に、動物達が戻ってきたようだ。

「思い出した、ここ、この間トビィお兄様と来た場所だ」

　立ち上がると、身体に付着した落ち葉を払う。

　間違いないならば、付近に村がある。ここは、巨人族の子を保護した場所だ。

　アサギは、ふらつく足取りで森の中を急いだ。飛ぶ勇気はなかった、そこまでの力量が残っていない。

　木々に誘われるように、アサギは進む。迷うことはない、光がなくても村まで到達出来る。

　蝶にでもなったかのように、軽やかな足取りでアサギは駆け抜けた。力を入れずとも、誰かが抱き上げて運んでくれているかのように、楽だった。

　見覚えのある村に足を踏み入れると、途端に人々に囲まれる。

「アサギ様！　おぉ、おぉ！　倒してくださったのですな！」

「ありがたやー、ありがたやー、ありがたやー！」

　口々にお礼を言われるが、なんのことやらさっぱり解らない。困惑したアサギだが、急に眠気に襲われる。

　明日も学校がある、眠らねば授業に支障が出る。

　アサギに泊まっていって欲しいと懇願する村人達だが、丁重に断った。ここで眠って早朝に起きられないと大惨事になる。

　

「あ、あの、また来ます。その、様子を見に」

　そう告げて、逃げるように村を飛び出したアサギは途方に暮れた。

　来た時はよかったのだが、帰る気力がない。

　デズデモーナが近くにいないだろうかと嘆きながら、仕方なしに渾身の力で宙に浮いてみた。

　と、運が味方したのか。

　

「トビィお兄様！」

　周辺に、待ち望んだトビィと竜の気配を察知したので、どうにかそこまで飛ぶ。

　よろめきながら夜空から舞い降りてきたアサギに、クレシダは怪訝に顔を顰め、デズデモーナは頬を染め、トビィは穏やかに腕を広げた。

　その腕の中にすんなりと飛び込んだアサギは「太陽が顔を出したら、起こしてください」とだけ告げて、トビィの腕で眠りにつく。

　何故アサギがここにいるのか疑問だったが、疲れているアサギを起こすのは忍びないので、髪を撫でて「安心しろ」と微笑んだトビィは行先を変更する。

　ディアスへ戻り、館の自室へアサギを運ぶ。

　質素だが、寝具が用意してあったのでそこへ寝かせた。

「おやすみ、アサギ。良い夢を」

　額に口付け、健やかな寝息を立てているアサギに微笑む。

「主、私達は……」

　入口に立っていた人型のクレシダとデズデモーナに「好きなように」と指示を出すと、トビィは館にある浴室で身体を洗い流す。

　そのままごく普通に自室に戻り、熟睡しているアサギの隣に滑り込むと抱き寄せて瞳を閉じた。

「ん……」

　身動ぎしたアサギを抱き留め、頬に口付ける。首の下に腕を入れ、小さなアサギを隠す様に抱いていた。