[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ねたばれ万歳。
4章中盤のある一角をトビィ主体にしております。
R-18なので、そこまでだけ掲載。
続きが気になったお方は ここ → http://novel18.syosetu.com/n2350v/ へ、どうぞー。
小さな彼女は泣いていた。ひっそりと、泣いていた。
確かに彼女は強かった、何故ならば勇者様だからだ。
異世界から召喚され、勇者として降り立ったらば美しさのあまり魔王に拉致され、結果魔界で過ごす羽目になった異例の勇者だ。
彼女の美しさは、勝利をもたらす。彼女が美しかったからこそ、魔王を一掃出来たと言っても過言ではないだろう。美しさは、彼女に最良をもたらしてきた。
筈だった。
まだ、彼女は12歳だ。幼いが、身体つきは妙に艶めかしい。天真爛漫な魅力に、時折見せる”雌”の香りは危うく周囲の男を魅了した。
が、彼女に手を出せる男など、少ない。
一般良識があれば、手を出すことが出来なかった。幼いから、泣かれでもしたらそれこそ息が止まるほどの負荷が自分にかかると判断出来るからだ。
それより何より、彼女は妙に神々しい。端から見ていて、それだけで何故か満たされる気がした。
高嶺の花だと瞬時に脳が理解するのか、いや、手を出すこと自体が死罪に問われるような錯覚に陥る。彼女の涙を見て、強行出来る男など、数える程しか存在しないだろう。
だから、彼女は危険な目に遭わなかった。何かから、護られているようにも思えた。
仲間に恵まれ、魔王を仲間にし、醜悪の根元である邪神を倒した偉大な勇者。
誰からも親しまれ、愛され、頼られ、可愛がられ、全てが味方になる勇者。
才色兼備な少女は誰からも、汚されないだろう。
と、誰しもが思っていた。
彼女は泣いていた。1人部屋で泣いていた。嗚咽して、床に突っ伏して泣いていた。
時折、顔は赤く腫れ上がった、手足は骨折した、視力を失った、魔力を失った。
勇者である彼女は、すぐにそれすらも完治したが。
普通の人間ならば死んでいる、だが、彼女には不思議なことに常に治癒の魔法がかかっているらしく、”死なない”のだ。あるいみ、異形である。
それに気づくことになったのは、彼女が元恋人に虐待されたことからである。
確かに、以前から皆不思議だったのだ。彼女の治癒能力が高すぎることは、皆知っていた。しかし、それは勇者として、加護を受けているのだと思っていた。神からも愛されていた勇者の要である、それで納得が出来た。
彼女は泣いていた。1人で泣いていた。皆に心配をかけないようにと、1人で泣いていた。
彼女の元恋人であった筈の男は、それを知っていたので暇つぶしに、憂さ晴らしに、愉快だからと、彼女に暴行を加えた。彼女は誰にも助けを求めないと、告げ口しないと知っていたからだ。
何をやっても、心配ない。彼女は死なないので、誰からも咎められない。勝手に回復し、勝手に復活するのだから露見することはない。ただ、瀕死の状態で誰にも見つからぬ場所に置き去りにするだけで良い。
男は気まぐれに、狂気の沙汰で彼女の頭を踏みつぶし、手足の骨を折り、身体に剣を突き立て、炎を浴びせた。
焼けただれた皮膚や、切断された腕、飛び出た眼球、抜け落ちた髪に、腫れ上がった顔、折れた歯の彼女の無惨な姿を見て、大爆笑しては罵った。
けれども、数時間経てば彼女は元の美しい姿に戻る。それはもう、確かに人間ではない。
「もう、お前人間じゃないよな。何なの? 殺したいのに死なないって、嫌みな奴だな」
彼女は泣いていた、一人きりで泣いていた。全てに絶望して泣いていた。
12歳になった少女は、”産まれて初めて出来た”恋人であるその男と楽しく過ごす筈だった。
運命の歯車が壊れたのは、彼女の誕生日。1月11日の、寒い冬の日。
その、ほんの数日前までその男は彼女を愛し、彼女を優しく抱きしめていた。
彼女の誕生日に、と自ら書いた手紙も存在していた。前日までは、確かにその男の机の上にあったのだ。
男が豹変したのは、彼女の誕生日。正確には、誕生日前夜。だが、彼女は豹変したことを当日まで知らなかった。
誕生日を境に全てが変わった、そうして、彼女も変わっていった。身体の傷は幾らでも完治する、しかし心の傷までは完治することなく。
それを、元恋人の男は理解していなかった。
身体の痛みよりも、心に負った傷が、彼女を痛めつける。彼女の精神が病んでいくことを、知らなかった。
尚。
運命の歯車が、壊れたわけではない。正常に、動いていた。それが、運命だったのだから。
***
冷たくなっていたアサギの手を、トビィは取る。優しく包み込んで、ゆっくりと自分を見上げたアサギに小さく微笑んだ。
今日は、皆で巨大迷路なる地球の遊びに参加していた。塞ぎこんでいるアサギを少しでも楽しませようと企画したものだ、アサギと親密な関係にある仲間達で話し合って決めた。
トビィにマダーニ、ライアンとアリナ、それにクラフト。アサギを加えて6人での外出である。
行き先は地球の某所だ、マダーニが購入してきた情報誌で、その存在を知った。
気の知れた仲間達である、前日から大はしゃぎしているアリナに、皆は微笑ましく見つめる。
ところが、何故か同じ場所にトランシスとガーベラが居た。
話を聞かれたのだろう、嫌がらせとしか思えず、憤慨したアリナは場所を変えると言い出した。
が、すでに金を支払って迷路の中に入ったところである。アサギが勿体無いから、気にしないから……と言うので渋々迷路で遊ぶ事になった6人。
アサギはトビィと2人で回ることになった、3チームに分かれて、最後にゴールしたものが後で皆にスイーツを奢るという罰ゲームを設けた。
楽しいはずの、迷路。
しかし、行く先々で、これ見よがしにとトランシスはガーベラと身体を寄せ合い、口付けを交す。
あてつけ以外の何者でもない、ガーベラはアサギを気にして困惑気味に控えているが、トランシスは下卑た含み笑いを漏らして俯いているアサギを睨みつける。
トビィはそれから逃げるように、アサギを連れて回った。
最初にゴールしたのはライアンとマダーニだった、僅差でトビィとアサギが追いつく。
数分後に、喚きながらクラフトとアリナの到着である。頭脳派のクラフトと、体力勝負のアリナで作戦に罅が入ったようだ。戻ってくるなりアサギに飛びつき、文句を言い続けるアリナ。
アサギは無論、皆も笑みを取り戻し、迷路に隣接されている土産屋兼カフェに入る。
自家製のレアチーズケーキが自慢だというので、女性達は皆、それを注文した。男達は揃いも揃って珈琲のみ、冷えた身体を温める。頬に赤みが戻り、心にも余裕が生まれた。アサギの落ち着いた表情を見て、ようやく皆も肩を下ろす。
楽しませようと計画したにも関わらず、とんだ日になったが、結果的にはよかったのだと思った。
アサギは、美味しそうにレアチーズケーキを食べていた。彼女は、食事をいつもとても美味しそうに頬張る。その顔が、皆、好きだった。愛らしくて、こちらまで微笑んでしまうのだ。
暫く、そこで談笑した後、土産屋を覗きに行く事にした。
他の仲間達に土産を買う為だった、地球産の土産は珍しいのでついつい皆見てしまう。マダーニはメモを片手にライアンの持つカゴへと、大量に何かを投げ込んでいた。
しかし、トビィは土産屋に足を踏み入れて、直様舌打ちした。
中央に、トランシスとガーベラが居たのだ。どうやら遅れて迷路を脱出し、土産屋に最初に入ったのだろう。
気にしないようにと、耳元でアサギに囁くと、手を繋いで回る。硬く、握り締めた。
「ほら、アサギ。何か買ってあげよう。これはどう? 可愛いじゃないか」
「あ……はい。とても、可愛いです。……でも、えっと、悪いので、要らないです」
不意に、トビィが何かを見つける。委託して置かれているという、手作りのイヤリングをトビィは指した。中にドライフラワーが閉じ込めてある、赤が基調の華やかなものだ。作者の言葉も付いており、人気のある一角なのだろう。
確かに、最近流行の手作りアクセサリーだが、際立って華やかで、造りが繊細だ。
それは、目に入れた瞬間にアサギにも解った。あまり目にかかれないものである。しかし。
「遠慮しなくても良い、ほら、ハート形で揺れて可愛い。買ってあげるよ」
「あ、あの、でも、その」
「可愛くない奴だな、相変わらず。ガーベラみたく、何でも強請って貰えた方がオレは嬉しいね」
トビィの顔が険しくなる。何時の間にやら背後にトランシスとガーベラが来ていた。青褪めてガーベラがトビィに視線を移すと、申し訳なさそうに瞳を伏せる。しかし、ガーベラの謝罪など、何にもならない。
「ほんっと、男の悦ばせ方を知らない奴だな」
「……アサギはまだ12歳だ、そんなこと、知らなくて良いだろう。おいで、アサギ。他のものにしよう、動物のものにしようか」
無理やりアサギの手を握ると、トビィは懸命に怒りを抑えて大股で店から出る。不愉快でしかないトランシスの笑い声を聞きながら、唇を噛んだ。まだ、何かを言っていた。
「アサギ、気にしなくて良い」
「あ、はい。へっきです、ごめんなさい」
様子に気づかないわけがない、無論マダーニ達も早々に勘定を済ませて外に出た。
すっかり俯きがちになったアサギに、マダーニは軽く溜息を吐き、アリナはまだ店内にいるトランシスを憎々しげに見つめる。愉しかった筈の迷路が、台無しだ。
おまけに、雨まで降り出した。2月中旬で、気温が低い。山の中にあったので更に気温は下がった。
身震いするアサギを気遣い、ライアンが車を取りに行き、その場で待つことにした5人。マダーニとアリナは買い忘れがないかと再び店内に戻った。
店内のほうが暖かいのだが、中にはトランシスが居たのでアサギとトビィは外でライアンが戻るのを待つ。
自販機で温かい飲み物を、とトビィがココアを購入し戻ってきた際に、アサギはひっそりと泣いていた。
店内のトランシスとガーベラを見て、泣いていた。
一ヶ月前ならば、あそこにはガーベラではなく、アサギが居たのだ。
静かに、涙を流すアサギに胸が打たれる。
どうして、この少女は酷い仕打ちをされてもあの男を選ぶのだろう。何故、まだ愛しそうに見つめるのだろう。
トビィには、全く解らなかった。アサギが何をしたわけでもないのに、理不尽だ。
アサギに非はない、それなのに、何故アサギばかりが自己嫌悪に陥るのだろう。
トランシスが暴力を振るうのは、自分に悪いところがあるからなのだとアサギは思い込んでしまっている。
トビィはそっと、アサギの手をとった。手袋もしていない露出された手は、冷たい。
ゆっくりと上を向いたアサギに、微笑するとその頬にココアを宛がう。驚いて笑ったアサギに、トビィも笑った。
「あ、雨が目に入って」
慌てて涙を拭うアサギに、トビィは哀しそうに笑うとそっと、涙を指で拭ってやる。
そんな嘘、つく必要などないのにと思いながら。
胸が締め付けられた、アサギを奪うことが出来ると思い、若干歓んだあのアサギの誕生日が恨めしく思える。
トランシスに振られたアサギを、慰めて自分のモノにする……。それが、汚い方法だと思っていても最良だと思えた。
自分が恋人になれば、四六時中傍にいて護ってやれる。アサギの痛みもいつかは消えるだろう。
だが、アサギはトランシスを追い求めた。何故か、待ち続けた。まだ、想いを寄せていた。
信じられないことだが、嫌われ続け、罵声を浴びせられ、殺されかけても愛しているようだ。
誰も、あの中に割って入れない。トビィも、それを理解した。
けれども、あまりにアサギが不憫すぎる。
トビィが想いを打ち明けたとしても、アサギは哀しく微笑むだけだと目に見えてしまった。
兄として、接してきた。アサギが、それを望んだからだ。それを今更覆す事など、出来ない。
トビィは最初から恋愛感情を抱いていた、それも今更覆す事が出来ない。
何度、唇を噛締めただろう。トランシスと共に居て、幸せそうに笑うアサギを壊したい衝動に駆られていた。
絶対的な信頼はある筈なのに、それは異性として見られていない。
冷えた湖の底、漂う美しき少女は涙を流す。涙は湖を凍て付かせ、何人たりとも侵入を許さない領域になった。
泣き顔が、痛々しい。同時に、妙に艶かしい。不謹慎ながらも、泣き顔にそそられた。
「……あぁ、アイツもそんなような事、言ってた、な」
トビィは、店内のトランシスをぼんやりと見つめた。アサギを、抱きしめながら。
地球にあるトビィの室内、机の上。小瓶が1つ、置いてある。
以前、4星クレオの最大都市ジェノヴァへ出向いた際に妖しげな男から押付けられた薬が入っている。
使用すると想い人と錯覚させられる、幻薬らしい。
トビィは、それを電気にすかして見つめた。アサギを想う、トビィと。トランシスを想う、アサギ。
この薬を使って、自分をトランシスと思い込ませれば、一瞬でもアサギは笑ってくれるだろうか。
そんな馬鹿げたことが脳裏を過ぎり、トビィは失笑する。愚か過ぎる、何が哀しくて最も憎むべき男にならねばならないのか。
それでも、声がするのだ。そうすれば、アサギも歓ぶだろうし、自分とてアサギが手に入るのだから誰も哀しむ事もない、と。
誰かが語りかけている、その薬を使えばアサギを抱く事が出来ると。
アサギを泣かせずに、寧ろ喜んで足を開く相手になるだけだと。
その日も、アサギは泣いていた。泣かないように堪えていることは解るのだが、泣いていた。目が真っ赤に腫れ上がっているからだ、目を逸らしたくても、見てしまう。気づかないふりなど、出来やしない。
トビィは、舌打ちし薬を無造作に握り締めると、乱暴にドアを開けてアサギの部屋へと向かった。
「アサギ? 入るよ」
声をかけて室内に足を踏み入れると、アサギは眠っている。が、気配を感じて重たそうな瞼を何度も瞬きし、瞳を開いた。
ゆっくりと顔を向ける、微かに笑うとトビィお兄様、と小さく呼んだ。
「ごめん、寝てたんだね。出直そう」
「あ、いえ、へっきです」
言うなり、上半身を起こし、そっとベッドから這い出てくる。小さくアサギは笑ったが、顔は疲れていた。
パジャマではなく、普段着だった。確かに、眠るには時間が早すぎる。疲れていたから布団に入っていたのだろうと、トビィはそう思った。
「どうかしましたか、トビィお兄様」
「……気分転換になればと思って。クレオのオレの家にでも行こうか。たまには、深呼吸出来る場所へ行かないと」
ここには、近くにトランシスが居る。離れてみるのもいいだろうと言いたいのだと、アサギは直様理解し困惑気味に笑う。
「行こう。そうだな、何処かで美味いものでも買って2人でパーティでもしよう。おいで、アサギ」
「あ、でも」
「おいで、アサギ」
ひょい、とアサギを肩に担いで、有無を言わせずトビィはアサギの部屋を後にした。出る間際に、入り口にかけてあるアサギのコートを手にして。
狼狽しているアサギがわかったが、妙に胸が急かすのだ。早く、アサギを持って帰るべきだと。
アサギは、嫌がっている。それも解ったが、もう、後には引けない。喉を鳴らす、アサギを抱く事に罪悪感などその時のトビィにはなかった。
アサギを助ける為だと、思い込ませた。
トランシスの振りをするということは、必然的に抱くことに繋がる。それを期待しているのかと問われれば、当然そうだと答えるだろう。
アサギを救う為なのか、それともただ、言い訳しているだけで自分の欲望を叶えたいだけなのか。
「おやおや、お2人でおでかけですかー、お盛んなことで」
びくり、とアサギの身体が引き攣る。面倒な男に出会ったと、大袈裟にトビィは溜息を吐いたが足は止めない。
2人の前方に、トランシスが仁王立ちしている。どうして都合よくこの男は現れるのかと、トビィは舌打ちした。アサギ探知機だ、常に見張っているかのようだった。何故か、遭遇する。
当然トビィは無視して、軽く睨みつけるとそのまま直進した。大げさにため息を吐いて、トランシスは横に避けるが。
「良いご身分だな。夜な夜な男をとっかえひっかえ出来て」
「トビィお兄様、私、あの、部屋に戻ります、あの、降ろして」
アサギを睨みつけ、トランシスが悪意を篭めた声で悪態づいた。が、トビィはそれでも足を止めなかった。アサギが半泣きだった、声が震えて必死に手に力を入れて耐えていることも解ったが、それでも降ろさなかった。
アサギが部屋を出たくない理由はこれだ、出掛けているとトランシスに何かと言いがかりされるのである。
それこそ、濡れ衣だった。言いがかりも甚だしいが、アサギが様々な男と逢瀬を楽しみ誰にでも足を開くのだと言ってくる。そんな事実は何処にもない。
「気にしなくていい、アサギ。言いたい奴には言わせておけ」
「で、でも、トビィお兄様。わ、私は」
「トビィも、モノ好きだよなー。オレ哀しいなー、引く手数多の、美形トビィさん。そんな醜い女と一緒に居ると価値が下がりますよーっと」
挑発に乗るつもりなどなかった、だが、こちらも宣戦布告をしたくなった。寧ろ、哀れみの念を篭めて、トビィは足を止めるとゆっくりとトランシスに振り返る。
口の端を上げて、ゆっくりと喉の奥で笑う。余裕めいて、勝ち誇った視線を投げかける。
『イタダキマス、捨ててくれて、アリガトウ』
届いただろうか、届くわけがないか。小さく零すとトビィは踵を返し、再び歩き出す。
唖然と、トランシスがその姿を見送った。その顔が、青褪めていることなど、トビィも、アサギも知らない。
「あ、アイツ、まさかっ」
悲鳴を上げて走り出したトランシスは、慌てて2人を追ったが呆けていた時間が長かったのか。
2人の姿が、消えていた。外に出て、周囲に向かって叫ぶ。
「トビィ!? おい、トビィ何処行った、トビィっ」
雪が降っていた、大声で叫んだ。髪を振り乱し、頭を掻き毟ってトランシスは悲鳴を上げる。
そんな姿、誰も見ていなかった。
4星クレオのトビィの家は、海が見える小高い丘にある。ドラゴンナイトのトビィは、3体のドラゴンと生活を共にしている。普段はアサギと共に地球にいることが多いので、どちらかというとこちらが別荘のようになった。
今日はドラゴン達は不在だ。珍しい事もあるのですね、とアサギが無防備に呟くとトビィは微笑した。
簡単なことだ、薬を使うと決めた時点で三体を適当に言いくるめて追い払った。
今頃、3体揃ってトビィが教えた先に出掛けているだろう。妙に人間臭くなってしまったドラゴンたちは、それぞれ趣味を持った。
風のクレシダは水が好物で、トビィはクレシダに美味い水が示された雑誌の記事を手渡したのだ。
水のオフィーリアは電車が好きで、おまけに女子のようにスイーツも大好きだ。
黒のデズデモーナは特に興味を持つものなどなかったが、責任感が強いので、オフィーリアに付き添って電車に乗ってスイーツを食べに行くことになった。おまけに、クレシダも1人では不安だからとデズデモーナが引率している。
3体のドラゴン達は、信頼する主から貰ったその情報に胸を躍らせ、出かけて行った。
当分、戻ってこないだろう。戻ってきてもらっては、大いに困るのでトビィは念入りに調べて遠方を選んでいた。
今頃は、新幹線に乗って3人で菓子でも食べながら旅行を満喫しているだろう。
トビィの家には、アサギも何度も遊びに来ているし泊まったことも多々ある。
キングサイズのベッドが設置してあるトビィの部屋は、寝心地が良かった。
ただ、トランシスと付き合い始めてから、徐々に足を運ぶ事が少なくなったのも事実である。
やましいことはないのだがトランシスに何度か仲を疑われていたのだ、それを信じてもらおうと、アサギは必死だった。
トランシスにしてみれば、トビィを危惧するのは当然である。アサギに想いを抱いていることなど、一目瞭然である。
だが、肝心のアサギがそれを信じていない。ただの、兄と妹だと、信じ込んでいるから性質が悪い。
トビィは、途中に地球の適当な店でワインとチーズ、アサギの好きそうなハーブティやら焼き菓子やらを購入した。
それらを広げて、まだ先程のトランシスが気がかりで震えているアサギの背を撫でる。
「……さぁ、お食べ。アサギがトランシスを好きな事は、解る。が、何時までもそれでは皆も心配知るだろう?」
「あ、その、好き、というか、あの、そうでは、ないの、です。トランシスに、酷く申し訳ないことを、したので、私は、償いをしないと、いけなくて、その」
償い。時折アサギはそれを口にする、何を償いたいのか全く皆には解らなかった。
苦笑いして、トビィは菓子を差し出した。自分はワインを開ける。濃厚な葡萄の香りが、一気に室内に充満した。
「あ、あの、トビィお兄様。そ、そのあの、あの方にご、誤解されるといけないので、食べ終わったら帰ります」
アサギが申し訳なさそうに口を開く。あの方、というのはトランシスのことだ。トランシスに名前を呼ぶなと言われたので、呼ばないようにしているだけである。
連れてきたのに、それでは困る。未だにトランシスを気にし、震えているアサギを見ると無性にその場で犯したくなった。
妙な幻覚に捕らわれているとしか思えない、正気の沙汰ではない。アサギは常に、トランシスを庇う。
焦ったトビィは、口篭りながら薬を手にしていた。小瓶を手の中で遊ばせる。
恐らく、トビィも何処か、おかしかった。
「そうか、解った。後で戻ろう。だが、また、前の様に遊びにおいで。”オレはアサギのお兄さんだから”」
「はい!」
そう言うと、ようやくアサギは顔を上げて、笑顔を見せた。トビィの胸に、突き刺さる。
笑顔が、突き刺さる、凶器となって突き刺さる。
トランシスが笑っていた、何処まで行っても勝てないのだと、腹を抱えて笑っていた。
幻覚を殴りたい衝動に駆られながらも、トビィは冷静を装ってアロマランプに火を灯す。
「ほら、前にアサギが好きだと言っていたからオレも買ってみた」
水の中に、薬を数滴垂らす。水面に広がる液体を、トビィは虚ろに見ていた。
下からの火で、水が蠢く。数分もすれば、蒸気になるだろう。
「わぁ、嬉しいです。何の香りですか?」
「さぁ、なんだろう。最初から調合されていたから」
嬉しそうに微笑んで、クッキーを齧ったアサギは鼻をひくつかせる。
「甘い香りですね、トビィお兄様にしては珍しいです」
「アサギに、合わせたから」
香りなど、するだろうか? クッキーと間違えてないだろうか? トビィは冷汗をかいた。
実際、あの薬が香るかなど知らない。香りが薄いからと、本当のアロマオイルを後で垂らすつもりだったのだ。
が、アサギは匂いを嗅ぎ分けたらしい。クッキーを食べ終わっても、鼻をひくつかせている。
トビィには、それが解らなかった。恐らく、女にしか効果がないのだろうと解釈する。
香りがわかったということは、効いて来たのだろうか?
トビィは落ち着かない様子でアサギの隣に座ると、ワインを口に含む。
「アサギ、チーズは? 冷たい水は?」
「要らないよ、トランシスは?」
トビィの目が大きく見開く。今、アサギは何と言った。名前もだが、口調がタメ口だった。
「ワインを呑むなんて、トビィお兄様みたい。2人は、仲が良いもんね、移ったの?」
くすくすと笑うアサギに、眩暈を覚える。最早、幻覚を見ているらしい。周囲を見渡すアサギは、再びクッキーを手にし、齧る。
「あれ、トビィお兄様は? ここ、トビィお兄様のおうちだよね?」
「と、トビィは……クレシダ達と出かけたよ。好きに使っていいって」
トビィは、かすれる声で切り替えしてみた。きょとん、としていたアサギだが、そうなんだーと頷く。
その場から”トビィ”という人物は、消えた。その場には”トランシス”という人物が、居る。
薬は、本物だった。効いたのだ、即効性が有り過ぎる。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |