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別サイトへ投稿する前の、ラフ書き置場のような場所。 いい加減整理したい。 ※現在、漫画家やイラストレーターとして活躍されている方々が昔描いて下さったイラストがあります。 絶対転載・保存等禁止です。 宜しくお願い致します。
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ともたま劇場・第一回
高校三年の渚は、受験勉強のため、父の別荘で夏休みを過ごしていた。息抜きで別荘地を早朝散歩していると、同じ歳だという少女ナギサに出会う。二人は昔から知っていたかのように親しくなり、頻繁に会うようになった。


軽井沢というと、日本の避暑地として有名だ。だが、最近は落ち目になっている。自然が多く残るこの地は、住んだ空気と過ごしやすい気温の為、別荘地として栄えてきた。高級ホテルもある、品の良いショッピング街も揃っている。”○○ホテルで修行した”という肩書きのシェフが構えている小さなフレンチレストランも、多々点在している。行き交う人々はブランド服に身を包み、血統書付きの犬の散歩だ。
 最近通っているお気に入りのカフェで、珈琲を飲みながら僕は人間観察をしていた。
 夏休みをここで過ごす人々の多くは富裕層だろう、時折観光で来ている家族や恋人を見かけるが、僕が滞在している別荘地は、年配の夫婦や、裕福そうな家族で賑わっている。賑わっている、と言っても都会のように別荘が窮屈そうにひしめき合っているわけではないけれど。
 このカフェは、僕の別荘から徒歩十五分程度の場所にある。
 高級ホテルの一角にあるカフェで、宿泊者以外も自由に出入り出来る。ホテルの所有する庭は、ドッグランも併設されており、今も目の前で多種の高級犬を連れた夫婦が犬達を眺めながら優雅に朝食をとっていた。
 このカフェを気に入ったのは、珈琲が僕の口にあったのと、トーストについてくるミルクジャムが美味しかったから。このホテルが特許をとっているらしい、販売もしている。
 腕時計を見る、父から誕生日に貰ったグッチのアナログ時計は、十時を過ぎたところだった。
 そろそろ、行こうか。
 席を立ち、会計を済ませてカフェから出る。
 夏休みの間、僕はここで勉強をしている。家庭教師つきだが、今は自由時間だ。十一時から勉強が開始になるので、毎朝七時に起きて朝の空気を吸い込みながらカフェに来て、暫し一人の時間を楽しんでいる。
 もうすぐ貴重な時間も終わる、家庭教師も僕の別荘の一室に寝泊りしていて、彼は適当に朝食をとっているらしい。そこから夜までずっと一緒だ。
 昼食と夕食は家政婦さんが来てくれて、調理してくれる。就寝までただ勉強に励むしかない。
 こんな生活だけれど、苦痛ではない。
 高校三年、というと受験の時期だが、僕は大学附属の幼稚園からずっとそのまま来たので、世間が賑わう受験勉強、は関係ない。一応テストはあるけれど、そんなのは問題じゃない。
 僕の父は、世界的にも有名なクローン研究者の一人だ、幼い頃から偉大な父の背中を見て来た。

『大きくなったら僕もお父さんを手伝うよ!』
『頼もしいなぁ、渚。待っている、早く追いつきなさい』

 時折家に帰ってくる父と、そんな会話を幼い頃からしていた。僕の誇らしい父、父が書いた書籍は数冊世に出回っている、海外のテレビにも出演している。
 そんな父と同じ研究チームに入ることが、僕の夢だ。親子二代による研究成果を世界に発表する、考えただけて胸が高鳴る。
 だから父は僕に夏の間別荘地を与え、教師と家政婦さんをつけてくれた。何処にも行かない、友人はもともと少ないし、勉強をしていたほうが楽しい。テストで上位なんか、問題なくとれる、そんなところで満足していられない。

 夏休みに入って三週間が経過した、僕は変わりなくいつものカフェで人間観察しつつ珈琲を飲んでいた。天気は曇り、少し肌寒い。
 
「わぁ、美味しいこのミルクジャム!」

 閑静なカフェに似つかわしくない声が響く、僕は怪訝にそちらを見る。僕以外の客も、一斉にそちらを見た。
 低いが若い女の声だ、恋人と立ち寄っただけの、低所得者だろうと思った。上品さが全く感じられない声だった。
 
「紅茶もとっても美味しい! 流石高級ホテル!」

 信じられない、この視線を集めながら堂々と気にせず飲み食いしている。僕と同じくらいと思うが、もっと驚いたのはこの女が一人で座っていたということだ。
 一人で来たのか!? ギャアギャアとカラスがゴミを漁っているような声で、一気に完食した。

「めっちゃ美味しかった! ごっちそうさまー!」

 恥ずかしい、見ているこちらが顔から火が出そうだ。情けない、あんなだから僕らの世代が大人に馬鹿にされるんだ。家族連れの子供ですら、大人しく食事しているのに、なんだアイツ。
 僕はこの優雅な空気が好きだった、今日は最悪だ。ブチ壊された。
 睨みつけると、女と目が合った。
 一瞬、息が止まった気がした。
 何処かで見たことがある顔だ、今時の顔をしているが、そういう意味じゃない。明らかなつけ睫毛に、濃くて太い黒のアイライナー、茶色の長い髪は毛先が内巻きになっていて、そこらの女性誌を開けば載っているはやりの服を来ている女。そこらにいる女。
 の、筈だが。

「あっれー、何処かであった気がしない?」

 見ていたら、ソイツが立ち上がって近寄ってきた。……最悪だ、僕まで注目を浴びる羽目にはる。冗談じゃない、同族だと思われたら困る、僕はもっと上の人間だ。こんなホテルのジャムに引き寄せられてやって来た、味も解らない頭悪そうな女と一緒にいるような人間じゃない。
 思わず急いで立ち上がると会計に向かう、急いで支払って店を出て早足で歩き出した。

「ねー、待ってよー! そこの君、無愛想な君だよっ」

 信じられない、追ってきた! おまけに大声で話しかけてくる、冗談じゃない、関わりたくない。低俗な輩は不躾だ、僕の神聖な領域を汚してくる。これから勉強に挑む僕の朝の儀式が台無しだ。

「うるさいな、ついてくんなよ、通報するぞ!」
「あぁ、よかったようやく口をきいてくれた。ねぇ、何処かで会ったことない? 見たことがあるんだけど」
「知らねーよ!」

 思わず口を聞いてしまった、立ち止まって振り返ってしまった。失敗した。
 近くで見ると、この女。……見たことがある、こんな阿婆擦れの知り合いなんざいない筈だが。

「私、ナギサ! よろしくね! ねぇ、一人なの? 私も一人なの。昨日ここに来たばかり、よかったら一緒に見てまわらない? 同じくらいの子だよね、私高校三年」

 ナギサ? 僕と同じ名前、同じ歳だ。
 突っ込みたい点は多々あったが、偶然に唖然としていたら、ナギサが首を傾げる。
 
「名前は?」
「……渚」

 今度はナギサが驚く番だった、瞳を大きく開いて、大げさすぎるほど顔を歪める。

「うっそー、運命だよこれ! ねぇ、遊ぼうよ! 私暇なの」
「僕は忙しい、十一時から家庭教師と夜まで勉強」

 伸ばしてきた手を振り払い、平常心を装って僕はナギサをそのままに歩き出した。それでも、ナギサはついてくる。厚かましい奴だ、普通冷たくされたら離れるだろ。

「渚クンは良いところのおぼっちゃま? 私も一応お嬢様」
「嘘つけ! そんな品位のないお嬢様いねーだろ」

 思わず突っ込んだら、ナギサは笑った。……しまった、それが手だったか。

「一応お嬢様だよ、でもね、裕福なおうちに引き取られた孤児だから、上品じゃないのは血のせいかもね」

 あっけらかん、と重いことを言ってくれるナギサに思わず言葉が詰まる。言われてみれば、確かに身にまとっているピアスやバッグ、服は僕が見ても分かるブランドものだった。本当のお嬢か、援交やらで金を稼いだ女なのか。髪をかき上げた時に、一瞬見せた寂しそうな瞳が気になった。

「……明日、さっきのカフェで。僕は八時にいる」
「ホント!? ありがとう、楽しみにしているね。私はあっちの別荘にいるの」
「僕はこっち」
「じゃあ、明日ね! またね、ありがとう!」
「あぁ。またな」
 
 何故か、会う約束をしてしまった。
 何時ものように十一時から勉強を開始する、普段なら頭に入るのに、ナギサが気になって勉強に身が入らない。苦笑した家庭教師が、たまには、と休憩をくれた。
 時計を、見れば四時だ。この時間に外を出歩くことはなかったので、散歩してみることにした。気分転換には丁度良いだろう、父の書いた本を手に朝のカフェへ行くことにする。

「あっれー、渚クン! また会えたね」

 ……まさか玉の輿を狙うストーカーなのか、行く手を阻むようにナギサが立っていた。どういうことだ、この女なんでここにいる。
 それでも、朝ほど不快感はなかった。寧ろ、屈託ない笑顔を向けてくれたことに、安心した。
 誰だ、誰に似てるんだコイツ。見たことある、知っている気がする。

「自転車でこの辺りをまわっているの、一週間静岡から遊びに来てるんだよ。ほら、ガイドブック。渚クンはあのカフェ以外行ったことある?」
「……いや、ない」
「じゃあ今から行こうよ! はい、自転車」
「あのな、話を聞け」
「はい、漕いで漕いでー!」

 僕の話を聞かず、強引に自転車を押し付けるとちゃっかり自分は後部に跨っている。僕が漕ぐのか?

「あのな、僕は初めて暇を貰ったから静かなカフェで読書を」
「しゅっぱーつ!」

 背中を叩かれた、痛い。僕の通う学校に、こんなガサツな女子はいない。最悪だ。
 それでも、その叩かれた背中が暖かく感じられて、溜息混じりに自転車を漕いでみる。

「やっほー」
「うるさいナギサ、大人しくしろ恥ずかしい」
「えー、楽しいもん。楽しかったら笑って声を出す、美味しいものを出したら喜ぶ、嬉しかったら歌う、普通でしょ」

 ……僕には普通じゃない。
 初めて出会ったタイプの女に、僕は混乱した。振り回されているだけな気もするが、ガイドブック片手に後ろから指示を出すナギサに文句を言いつつ自転車を走らせる。老夫婦が経営している山小屋みたいなカフェでケーキを食べた、普通なら入らないような店だったが、出てきたチーズケーキはひと皿四百円なのに、普段食べていた千円のものより美味しく感じた。

「んー、美味しい! 渚クンも言ってみなよ、もっと美味しくなるよ」
「うん、美味いけど」
「もっと大きな声で!」

 ナギサの声が大きいから赤面し俯く僕だけど、周囲では子供達も騒いでいるし、経営者の老夫婦は何故か愉快そうに僕らを見ていた。この雰囲気なら、確かに声を出しても平気かもしれない。

「可愛い二人だねぇ、双子かい?」
「え?」

 経営者の老婆が話しかけてきた、言われて僕はナギサを見つめる。驚いた顔でナギサも僕を見ていた、見つめ合い、自然と窓ガラスを同時に見やる。
 じんわりと浮かび上がる僕ら、『双子かい?』老婆の声が脳内に響く、大きな音を出して、唾を飲み込んだ。
 今、気づいた。見たことある筈だ、僕に似ている。ナギサは僕に似ている。
 化粧をしているからなんとなく、だけれど、鼻の形や唇の形は同じように見えた。

「……まさか、ホントに双子!?」
「んなわけない、父さんの子供は僕だけだ」
「で、でも、似すぎじゃない!? 待ってて、お化粧落としてみる」
「い、いや、そこまでしなくてもいい」

 ナギサが僕の顔を両手で包み込み、見つめてきた。自分に似ているというのに、何故か心がざわめいた、触れられている頬が熱い。

「道理で見たことがあると……昔から知っている気がしたのは、似てたからかぁ」
「恥ずかしいだろ、離せ」

 震える声しか出なかった、同じ名前で顔が似ている、なんて有り得るのだろうか? 店を出て、近くの服屋に入った僕らは、全身鏡の前に手をつないで立っていた。
 身長は僕のほうが若干高い、が、身体のラインも似ている気がする。

「運命だよ、渚クン」
「どうして女はなんでもかんでも運命にしたがるんだ」
「これ以上の運命なんてないよ! 前世で二人は双子だったのかも! いやいや、実は一人だったけど二人に分かれたのかも!」

 どういう発想だ、有り得ない。女はこれだから困る、現実的に考えて、これは……偶然だ。

「偶然なんてないんだよ」
 
 まるで僕の考えを読んだかのように、ナギサが呟いた。真剣な眼差しで鏡越しに見つめ合うと、僕の背筋にゾク、と悍ましい寒気が走る。妙に冷めた声だった、普段のナギサの声と違っていた。

「偶然は妄想の具現化、って誰かが言っていた。私は少し違うかな、偶然は必然だと思ってる、何か意味が有るはずだ」

 ナギサの声が、僕の声に聞こえた。
 暫く放心状態でつっ立っていたけれど、閉店の時間になり曲が流れ始めたから、慌てて外に出る。何処へ行こうか脳内が白紙になってしまって、次の行動が思い浮かばない僕に、ナギサは手を差し伸べる。思わず、その手を掴んでいた。

「もう少し、一緒にいよう」

 母のように、姉のように、妹のように、弟のように、兄のように、友達のように、全てを安心させてくる声と微笑でそう言うから……吸い込まれるように頷いた。
 近くの飲食店に入って、適当にピザを注文した。互いのことを話した。
 僕の生活とは全く違った世界に、ナギサはいた。規律正しい生活が全ての僕に対し、ナギサは何処までも自由だ。多くの友人に囲まれて、勉強はそこそこに遊んで過ごしているらしい。

「大学は短大、そんなに頭良くないし」
「教えてやるよ、朝持ってきな」
「えー、貴重な朝の時間に勉強するの!? ヤダー」
「金とらないんだ、有り難く僕の修行を受けるんだ」

 心底嫌そうに舌を出すナギサに、僕は笑った。ナギサは面白い、表情がくるくる変わる、まるで万華鏡だ。僕の周りに、こんな人間はいなかった。

 時間が惜しいので、早朝七時にあのカフェで約束をし、僕らは帰路につく。
 別荘には、冷めた夕飯が置いてあった、勿体無いので食べた。

「随分と遅かったね」
「勉強してました、ピザ食べながら」
「はは、渚君は流石だ」

 家庭教師が声をかけてきたけれど、視線を軽く投げて、早々と食事を平らげる。胡桃のパンと、鶏肉のグラタンだった。レンジで温めたけれど、やはり出来立てより味は劣る。 
 いや、一人の食事は味気ない。何より、この食事は父に雇われた家政婦が金の為に作ったものであって、僕の為に作られたものではない。一流の腕を持つ家政婦だけど、そうじゃない。
 冷凍食品だろうが、誰かと共にする食事の方が、断然美味しいことに僕は初めて気がついた。知らなかった。

 翌朝、カフェでナギサに勉強を教えた。差し出された教科書に目眩がした、こんな低レベルな勉強をしていることに青褪めた。同じ高校三年なのに、内容が全く違う。これが世間のレベルなのか?
 教えることに根気がいる、と思ったが、ナギサは飲み込みが早かった。僕がある程度教えれば、すぐに理解し自分で解く。……意外だ、もしかして、環境によってナギサの能力が抑えられていないだろうか? もしかしたら、とても頭脳明晰な奴かもしれない。
 簡単に解けて嬉しいのか、ナギサは夢中だった。

「渚クンの指導が上手いんだよ、先生より分かりやすい」

 溢れるような笑みを浮かべるナギサは、素直で羨ましい。僕は、こんなに顔がくしゃっ、となるほど笑ったことが……ない。いつも口角を軽く上げるだけだ。
 十時になったので、カフェを出る。自由時間は終わりだ、また明日の朝約束をした。

「またね、渚クン!」

 今日のナギサは、真っ白なワンピースに麦わらの帽子をかぶっている、花がついていて可愛らしい、こうしていると確かにお嬢様に見えた。何より、服装も好みだったけれど、何より僕だけを見て、僕に言うことに笑ってくれる、自分に似たナギサが、とても愛おしく感じられた。
 だから。

「きゃっ!」
 
 思わず引き寄せて、キスをした。いや、触れるか触れないかのところでナギサによって跳ね除けられた。僕のカバンが地面に転がり、中身が飛び出る。

「ご、ごめん、び、びっくりだよ、もうっ、恥ずかしい、こんな朝から! ま、またね、もう少し、待ってよね……」

 一瞬硬直し、地面に散らばった僕の本やらノートやらを慌ててかき集めると、無造作にカバンに詰め込むと押し付けてくる。止める間もなく、ナギサはそのまま走り去ってしまった。
 意外と、ウブだったようだ。キスは、ダメだったのか。
 震える声と身体が、可愛かった……というよりも。
 何故だろう、怯えていた気がした。顔は桃色に染まらず、青ざめていた気がした。男が怖いのだろうか? 今時の高校生は、キスくらい普通だと思っていた。

「渚!」

 聞き覚えのある声に顔を上げると、黒い高級車の後部座席の窓から微笑んでいる人物がいる。

「父さん!」
「休暇を貰ったから会いに来た、どうだ、順調か」
「まあね」

 まさか父さんが来るとは思わなかった、暇が出来たのだろう。嬉しくて駆け寄ると、車に乗り込む。オートクチュールのスーツに身を包み、メガネの奥の瞳は鋭く光る、中年なのに無駄な肉がない自慢の父さん。

「……面白いな、渚。声が明るくなった」
「え? そうかな」
「何か良いことでも?」
「特にないけど……あ、友達が出来た」
「ほぅ」

 メガネをクイ、とあげた父さんはそれ以上何も言わなかった。すぐに別荘に到着し、すでに連絡がしてあったらしく父の為にワインとチーズが用意されていた。
 僕は普段通りに勉強をした、昼食をとり、父の研究の話を聞いて、また勉強を始める。豪華な夕食を食べて、勉強に入ろうとすると部屋に父がやって来た。

「渚、天体観測はどうだ?」
「うーん、今はあんまりしてないけど」
「近くに良い小屋がある、行かないか」

 存外父はロマンチストだ、家庭教師も頷いたので、僕は行くことにする。もしかしたら、僕が出かけたら早めに就寝出来るから、それを望んでかもしれないが。

 山小屋には車で三十分ほどで到着した、そんなに大きくはないが、毛布やら暖房器具に、簡易な食器も置いてある。
 湯を沸かして、珈琲を飲んだ。無言で外に出て、毛布を被り星を見つめる。綺麗だが、怖い。星空は広大で自分の存在がちっぽけで、油断すると吸い込まれて消えてしまいそうになる。
 宇宙の前では、僕ら人間など無力だ。科学で解明出来ない点は、多すぎる。あの暗黒に浮かぶ眩い星星にてが届く日は、何時だろう。

「渚は利口だ」
 
 唐突に父がそう言った、僕は笑う。

「父さんの役に立ちたくて、子供の時から勉強してきたしね。待っててよ」
「もう、役に立ってくれている。大変面白い」

 違和感を感じた、カップの熱が急激に冷めた気がした。そっと隣で星を見上げている父を見つめると、メガネに阻まれて瞳は見えない。けれど、異様な空気を感じた。
 何処かでカラスが鳴いた、身体が跳ね上がる。得体の知れない黒い霧が、足から這い上がってきて僕の呼吸を止めそうになった。

「寒いか、渚。小屋へ戻ろう」

 父に促されて、僕は虚ろに頷くと、小屋へ入る。ドアが閉まる音が、妙に巨大で耳の奥に響いた。
 再び湯を沸かし始めた父を、目で追った。なんだろう、この感じは。気味が悪い。心臓がさっきから脈打ったままだ、心拍数が異常だ、警告を鳴らしている。
 目の前の父の背に、不気味な影が見えた。
 コトン。
 テーブルに、父が何かを置いている。腕時計やらを外していた「そろそろ寝るか、夜ふかしは脳に支障をきたす。二階にベッドがあるよ」僕は、頷かなかった。
 小屋には運転手の男がいて、戸締りをしている。鍵の音が、絶望的だった。牢獄に押し込められたような、そんな錯覚を起こした。
 寝てしまおう、風邪でもひいたのか。
 そう思い何気なくテーブルを見ると、目を疑った。
 日本にあってはならないものがある、いや、一般人が所持してはいけないものがある。凝視した、何故それがここにあるんだ。
 9mmベレッタ。
 喉を鳴らす、本物にしか見えない。僕の視線に気づいたのか、父がそれを持ち上げる。

「護身用だ」
「日本だよ、父さん。銃刀法違反だ」

 冬はハワイに行く、射撃場で僕も扱った事がある。だから、本物だと解った、そもそも偽物を父が持つ筈がない、意味がない。
 吐き気がした、脳で啓発が鳴り響いたままだ。脚がふらつく、目眩がする、ぐにゃりと歪む父の顔は、笑っている気がした。

「アメリカにいた被検体007が先日、車に撥ねられて死亡した」

 父が唐突に語り出す、何の話か解らなかった。

「エジプトにいた被検体011は、産まれてすぐにテロに巻き込まれて死亡した。フランスにいる被検体003は絵画の道に入ったよ。タイにいる被検体018は病弱でね、困っている。韓国の被検体023は最近貧困層と口論になり、重傷を負った」

 何の話?
 僕の声は出ない、唇も動かない。

「北海道の002は元気に農業に精を出している、仙台の003は火事で死んだ、静岡の004は」

 父が微笑む、悪魔の微笑、氷の刃が言葉となって僕に襲いかかる。

「オリジナルと遭遇した」

 何を言っているんだろう。

「まさか、出遇うとは。報告を聞いたとき驚いたよ、偶然だ、計画には入っていなかった。どうだい、004は。女性らしいだろう、産まれた時から女性ホルモンを投与してきたからね、若干声が低いが、なかなか可愛いだろう」

 何を言っているんだろう。

「生きる環境によって、何処まで性格に変化が出るのか。先天性なものか、後天性なものか、どちらが影響してくるのか。面白いデータがとれた、オリジナルと被検体004は互いに惹かれあった」

 何を言っているんだろう。

「同一人物だから、惹かれて当然、似ていて当然、理解し合えて当然」

 何を言っているんだろう。

「日本に戻ってきてよかった、報告書をまとめよう。このままいけば、思う通りの人格にクローンを育てられそうだ。本質は」

 何を言って何を言って何を言って、父は何を言っているの。

「渚、これからも協力しておくれ。父さんと一緒に、自分のクローン達の生活を観察しよう」

 あぁ、解った、僕の父は狂っていたらしい。
 喉の奥で笑っている父、運転手は何も言わない、驚きもしない。
 父の研究はもう、成功していたんだ。クローン技術は完成していた。公にしていないのは、公には出来ない実験を行っていたからか。
 実の息子で。

「004に会いたいか? 兄弟といえばそうなるのだろうか、渚本人だが」

 ナギサ。眩い笑顔のナギサ、僕に似た、同じ歳の女の子……ではなくて、僕。あれは、僕、僕自身、僕のクローン、双子じゃない、兄弟じゃない、僕自身。
 似ていて当然だ、僕だから。化粧と女性ホルモンで変わっていても、元は僕。頭脳も良いはずだ、あれは僕、ただ、育ってきた環境が違ったから差が出た。
 ナギサは、僕、僕、僕、僕、眩い笑顔の、僕、楽しそうに笑える、僕、友達が多い僕、化粧をする僕、大声を出す僕、明るい僕、生きている僕、僕、僕、僕が生活してみたいと思ってしまった環境にいる僕。

「恋はできないぞ、同一人物だからな。あ、いや、そういうデータも必要かもな」

 僕の中で、何かが割れた。急に脳内がクリアになり、沸き立っていた血が静まり、うごめいていた血管が、正常に戻る。荒い呼吸も波が静まった海のように穏やかに、白い砂浜から青空を見上げて微笑むように、僕は顔を上げた。

「流石僕の父さんだ、僕の理想の先を行く。僕は父さんの息子で光栄だよ、もう、神の領域だ」

 父は、僕を、見た。実験体の、僕を見た。嬉しそうに、顔を歪ませて哂っていた。あぁ、違う、ナギサの笑顔とは似ても似つかない、親子なのにこうも違うだなんて。
 僕は、ナギサのように笑いたい。心から、口を開けて、見ている人を暖かくするような笑顔で笑いたい。

「私も誇りだ、物分りの良い息子を持てて」

 僕は父に近づく、笑みを浮かべて、堂々と歩いた。腕を広げている父の胸に飛び込むように、近づいた。

「僕の夢は、父さんのお手伝い」
「そうだったな」

 満足そうに頷いた父に、皮肉めいて眉を釣り上げる。

「だから、僕から課題だよ父さん。オリジナルを失ったクローンがどうなるのか、この実験はどういう結末を迎えるのか」

 一見消えている焚き火の奥で、密やかに揺らめき燃えている火種のように。僕の心は冷静で。テーブルの上の銃を取ると、そのまま構える。

「頑張って、僕の父さん、尊敬していた人」

 ナギサ。僕が憧れた生活を持つ僕、下品に店で笑って食べていたのは、嫌悪感と同時に羨ましかった、君は自分を隠していない、押し殺していない。思うままに生きている。
 身体は男で、心は男? ナギサはこれからどう生きていく、そばにいて守って上げられたら良いけれど、オリジナルの僕がいたら、君は被検体004だ。
 君は君らしく生きてくれ、僕のようにはならないでくれ、君は自由だ、君は一人だ、君は僕じゃない。

「さようなら、僕、いや、ナギサ」

 僕は、引き金を引いた。止めようとした父に、下卑た笑い声を出して、舌を出してやった、涙が溢れた、悔しくて、情けなくて、弱くて、馬鹿げていて、それでも。
 逃げられないだろう、ナギサは監視がついているのだろう。
 でも、オリジナルがいなくなれば、研究は止まるかもしれない。どうか、僕が逃げ切れますように、この最低の神の真似事をした父から解き放たれますように。
 

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