別サイトへ投稿する前の、ラフ書き置場のような場所。
いい加減整理したい。
※現在、漫画家やイラストレーターとして活躍されている方々が昔描いて下さったイラストがあります。
絶対転載・保存等禁止です。
宜しくお願い致します。
×
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トビィお兄様無双というか、トランシス無双。
「アリア?」
トバエは、一人きり立っていた。周囲を見渡したが暗闇で何も見えない、瞳を賢明に凝らしてようやくその暗闇に慣れ始めた頃。無音な空間であることに気がついた。
アリアを探した、片時も離れた時などなかった筈だ。大声で呼ぶが返事が無い。
トバエは走った、名を呼び続けながらその暗闇を駆け抜ける。
何も、ない場所だった。足元は平坦で、周囲には物すらない。その異質な暗闇などは怖くなかった、ただ、アリアだけが心配だった。
一人きりで泣いているかもしれない、この空間の何処かにいる気がしてトバエは唇を噛締めて走り続ける。アリアも自分を探しているだろう、泣きながら探しているのだろう。
トバエは焦燥感に駆られ、足を軽くもつれさせた。だが、すぐに体勢を立て直すと再び走る。
しかしそれを嘲り笑うかのように、急に暗闇が膨張しトバエに襲い掛かってきた。漆黒の何かが、覆い被さってくる。
「アリア!」
トバエは、跳ね起きた。小刻みに震える身体からは、汗が噴き出している。両手を確認する、瞳を瞬きする、呼吸を整える。
額の汗を拭いながら、ようやく落ち着いて周囲を見渡した。部屋だった、自分の部屋だ。
まだ薄暗い、トバエの荒い呼吸だけが響き渡り、シン、と静まり返っており不気味である。
呻きながら隣で寝ているアリアを見つめた。間違いなく、そこに居た。
安堵し、大きく肩で息をすると未だに震えている自分の身体に軽く爪を立てる。妙に、気持ちが悪い。腹の奥で何かが蠢いているようで、誰かが背後で見ているようで。
たかが、夢だった。夢の筈だが妙に不安に襲われる。
汗で濡れた肌着が冷えて寒く、軽く身震いする。呼吸はまだ、整わない。
静まり返った早朝の空気の中、いやにトバエの息苦しい呼吸が響いた。似つかわしくなく、荒々しく。
自身の胸に手を置く、鼓動の速さが、嫌でも判る。
まるで、本当に全速力で駆け抜けていたみたいだった。
苛立ちを覚え、頭を振った。深呼吸を、一度、二度。アリアの髪を撫でながら、気持ちを落ち着かせる。
アリアは、その掌でトバエの衣服を掴んだまま眠りについていた。思わず、その手に自分の手を重ねて包み込む。暖かさが、トバエを安心させ溜息を吐かせた。
日中、トバエの目の届く場所にアリアはいる。離れるとすれば、夜、眠っている間だ。
同じベッドで横たわり、腕を絡ませて眠りにつくが眠っている間はアリアの姿を確認できない。
夜がアリアを連れ去ってしまわないようにと、それだけが不安だった幼き頃。常に傍にいて、誰も邪魔する者などいない筈だが、トバエは夜が些か怖かった。
地獄の帝王がもし存在するならば、アリアの美しさに惹かれて夜に紛れてやってきて、そのまま連れ去ってしまうのではないか……と。
ゆっくりとトバエは横たわると、アリアの額に口付けた。頬に、口付けた。
「アリア、恐らく君がオレを想う以上に、オレはアリアを愛している」
アリアが自分を慕い、愛情を注いでくれていることなど承知だが、それ以上に自分のほうが想いが強い事など判り切っていた。
死が2人を別つまで、共に居たい。寄り添って同じ時間を過ごして生きたい。
自分のこのもどかしいばかりの溢れ出る愛情を、全てアリアに伝える手段など、なかった。言葉では足りない、態度でも足らない。
解って貰わなくても構わないから、強く抱き締めたい。永久に同じ時を過ごせば、いつかはきっと気持ちが伝わるに違いない。
愛しい愛しいアリア、その花のような笑顔を護るためならばオレは何だってしよう……。
トバエは再び、いつしか眠りについていた。傍らにアリアを抱き締めながら。
「おはよう、トバエ。よく眠れた?」
眩しい陽射しが差し込んできた、トバエとアリアは口付けを交わす。起床時と就寝時に口づけることは日課だ、今後も続いていくだろう。
アリアは小さく笑うと、ベッドから這い出して朝食を作り始めた。くるくると動くアリアに微笑し、大きく伸びをするとトバエもベッドから出てくる。
小さく欠伸をして、忙しなく動いているアリアを見つめながら椅子に深く腰掛けた。
「他に、何もいらない。アリアがいて笑ってくれていればそれだけで満たされる」
小声で、呟いていた。
良い香りが漂ってきた、スープを温めなおしているのだろう。瞳を閉じながら今日は何をしようか思案するのだが、トバエはこめかみをひくつかせた。
あの、今朝方の夢が無性に気になった。あそこまでリアルな夢は、初めて見た。警告な気がしてトバエは軽く瞳を開く。
「水精……か?」
トバエは幼い頃から水を操ってきた。産まれながらに備わっていた、特殊な能力だと知ったのは物心ついてからだ。頻繁に使用してはいけない、と教えられた。それは、人に仇名す最凶の武器である。
トバエはこの能力など不要だと思っていたので、滅多に使うことは無かった。最後に使ったのはあの、忌まわしい城にまだ自分が身を置いていた頃だ。自分を暗殺しようとしていた者に、使った。
大気中の水分を瞬時に凍らせて、敵に打ちつける。標的を貫きたい時は、鋭利に尖った氷柱を作り出して投げつける。
そんな、特異な魔法を使用する際に傍に現れる影があった。その影をトバエは”水精”と呼んでいた。
人型のそれは、なんとなく男である気がした。
久しく、水精の存在は忘れていた。王子であった頃は、毎日と言って良いほど頻繁に姿を見せていたのだが。というのも、危険が迫ってくると水精が現れたのだ。
家臣の誰かが、命を狙っている。トダシリアが悪事を働こうとしているから、事前に防ぐべき。
常に自分の味方である水精は、未来の出来事を察知して夢で教えてくれたのだ。
「トダシリア、か」
トバエは心底嫌な顔をした、何故、早朝からこんな重苦しい溜息を吐かねばならないのか。今日一日億劫な日々を過ごさなければいけないのだろうか……引き攣った笑みを浮かべる。
思い出すことがなかった、双子の兄であるトダシリア。最も嫌悪する兄の顔が浮かぶ。
今まで、思い出したことなどなかったのに。
小さく、忌々しく言葉を吐き捨てる。今、兄は何をしているのだろうか? 国はどうなったのだろうか、荒廃しているのだろうか。
「忘れよう、ろくな事がなさそうだ」
もう二度と会う事はない筈だから、大丈夫だ安心しろ……。しかめっ面をして、テーブルに突っ伏すトバエだがアリアの動き回る足音に顔を上げる。
アリアを見つめていると、心の霧が晴れていくようだ。微笑してトバエは席を立った。
「出来たよ、朝食にしましょう」
「運ぶ、貸せ」
大きなトレイを運ぼうとしていたアリアからそれを奪い取ると、トバエは薄く微笑んだ。
「座っていてくれてよかったのに」
「2人でしたほうが早いだろ? 何でも2人でするんだ」
軽く肩を竦めるアリアの背を叩いて、トバエは手際よくテーブルに朝食を並べ始める。
質素だが非常に風味豊かなアリアの食事を口にすると、不思議と安堵の溜息が漏れる。
昨晩の野菜スープに手を加えて、牛乳を入れたミルクスープに小麦を水で溶いて丸めたものが入っている。それにベーコンの切れ端と野菜だ。
「いただきます」
アリアはスープを口に運ぶと、小さくすする。満足そうにトバエに笑いかけた、つられてトバエも微笑む。アリアの手料理で不味いものなどない。トバエも早速いただくと、昨晩の残りで作られたとは思えない野菜の旨みが染み出たスープが出来上がっていた。寝かせたからこそ、味が深くなったのだろう。
「今日も美味いな、アリア。オレはアリアのスープにはいつも驚かされる、大好きだ」
「ありがとう、トバエ。喜んでもらえるから、作り甲斐があるね」
数分、2人は無言で食事をする。満ち足りた表情で食事をしていたトバエに反し、アリアの表情は曇っていった。最終的にはスープを残して、スプーンを置いてしまう。
眉を潜め、トバエも食事の手を止めていた。
「アリア? どうした、気分でも悪いのか?」
青褪めているアリアに、思わずトバエは立ち上がると駆け寄る、軽く肩を抱く。
肩を揺すると、アリアは途端、大粒の涙を零していた。そしてトバエにしがみ付いたのだ。
「ゆ、夢を見たの。今朝、変な夢を見たの!」
トバエの表情が、強張った。震えるアリアを抱き締めながらも、自分も震え出したことに気がついた。
「いないの、トバエがいないの! 誰かがいるの、近くにいるの。でも、それはトバエじゃないの」
「……オレが……いない?」
トバエは、今朝見た夢を思い出した。闇の中で一人きり、アリアを探しているあの不気味な夢を思い出した。
「たかが夢なの、だけどね、すっごく怖かったの。押し潰されそうだったの、息苦しかったの……。忘れようとしたんだけど、思い出しちゃって」
最後のほうは、アリアの声が擦れていた。必死に宥めながら、トバエはアリアを抱き締める。
「落ち着いて、アリア。ほら、暖かいだろう? オレはここにいるよ、大丈夫だ」
嗚咽しているアリアを抱き締めながらも、自身も不安で仕方が無いトバエ。だが、恐ろしくて口には出せなかった、正夢になってしまいそうだったからだ。『同じ様な夢を見た』などと、言えない。
しかし、直感した。アリアも同時に夢を見るなど、ただ事ではない。恐らくこれは、危険予知だろう。
「……アリア、一旦この街を離れよう。楽器は出来上がった後で取りに来よう。厭な予感しかしない」
顔を上げたアリアは、不安そうに眉を顰めて泣いている。その唇に口付けて、トバエは早々に立ち上がった。
間違いなく、暗示である。今すぐに危険を回避せよと水精が告げているに違いない、とトバエは思った。街から立ち去れば、回避できるような気がした。
夢が指し示した未来は、2人の決別でしかない。何かしらの原因で2人は引き裂かれてしまうとしか、思えない暗示だった。
「ふざけるなよ……」
小さく呟いて、トバエは我武者羅に荷物を用意する。楽器を取りに頃合を見て戻るので、家はそのままにし、別の場所で簡易に暮らせるだけの衣服と全財産を所持した。
人目を気にするように、2人はフードを被って静かに家を出る。脇目も振らず、ただ街の門を目指した。門の出入り口に馬の貸し借り所があるので、そこで手続きする為に半ば駆け足になる。
自分達が出て行こうとしている、など知られてはいけない気がしてトバエは息を押し殺すように目立たない路地を通過する。勤務先に挨拶が出来ない事が心残りだが、一刻の猶予も無い気がしたのだ。
門が、見えたのでトバエは軽く溜息を零し、手を繋いでいたアリアに振り返る。が、アリアは不思議そうに門を見つめていた。
トバエも視線を戻すと、やたらと人だかりが出来ている。武装した兵達が妙に多く、街の住人達は何かに脅えてそわそわとしている。
「ちっ、こんな時になんなんだ……」
強盗事件でも起きたのだろうか、重々しい雰囲気に包まれている門だが、進むしかない。あそこからしか出られない。
強盗事件や殺人事件が起き、犯人を捜している最中だとすると馬の手配が厳しくなる。トバエは忌々しそうに舌を鳴らすと、アリアの手を引いて進み出た。
馬を借りる為に話をし、名前を記載している時である。
「現れたぞ! 囲め!」
傍らに立っていた兵が、大声で叫んでいた。何事かとトバエが振り返った時にはすでに、遅い。槍を四方から向けられており、馬屋の主人が悲鳴を上げている。
咄嗟にアリアを抱き締めると、腰に下げていた剣をトバエも引き抜いた。
「一体何だ!」
「あぁよかった、まぁ、鈍間なトバエのことだからそろそろ動く頃だとは思っていたけれど。……この街から逃亡を計るなんて、兄さんが許さないよ?」
トバエの身体が瞬時に凍りつく、今朝方の夢が現実になる気がした。一気に鳥肌が立つ、口にしたくなかった名前を、トバエは掠れた声で呟いた。
「トダ、シリア……」
「久し振り、トバエ」
兵達の中から、金銀細工を嫌味なほど身体に纏って現れたトダシリアは、大層機嫌がよさそうだった。子供の頃となんら変わりは無い、トバエの身に災いが降りかかる前の、トダシリアの笑みである。成長していたが、一目で自分の双子の兄だと解ってしまった。
面白がって、軽く手を振っているトダシリアに心底吐き気がした。残忍そうな瞳の光は、全く変わっていない。あの日のままだ。不敵に微笑む、その表情すら歪んで見える。
震えているトバエに気がついたアリアは、そっとフードからその相手を見つめた。
トバエに、よく似た顔立ちをしていた。といっても、目の前の相手のほうが若干幼く見える。無邪気な笑みを浮かべているように見えたが、トバエが恐れ戦いている様子にアリアは息を飲んだ。
常に傍にいて、力強く頼れるトバエが非常に小さく見える。
「貴方は……だぁれ?」
そんな恐縮しているようなトバエに代わり、彼を護ろうとアリアが一歩前に進み出た。舌打ちしてトバエが背に隠すが、遅い。
トダシリアはすでにアリアを視線で捕らえ舌なめずりしていた、トバエの顔が青褪める。喉の奥で笑うと、困ったように首を傾げるトダシリアはアリアに手を伸ばしていた。
「初めまして? になるんだろうな。トダシリアと申します、トバエの双子の兄ですよ、アリア」
「双子?」
あぁ、だから瞳の色も髪の色も同じで、どこか雰囲気が似ているのかとアリアは納得した。だが、怒鳴りつけるトバエの声に身体が震えて反射的にトバエの背に隠れる。
「どうしてお前がアリアの名を知っている! 一体何をしにオレの前に現れたっ」
怒りに溢れたトバエの表情を、アリアは息を飲んで見つめる。初めて見たのだ、大きく瞳を開き、全身で威嚇しているトバエを。常に寄り添ってきたがここまで敵意をむき出しにしているトバエは、想像すらしなかった。以前盗賊や人攫いに襲われた際とて、トバエは無表情で冷淡に敵をねじ伏せただけだ。
余程の相手なのだろうと、アリアは思い唇を固く結ぶ。トバエの敵は、自分の敵だと言い聞かせる。
双子の兄がいただなどと聴いてはいなかったが、話したくない事情があったのだろうと察した。
「あの、お兄様。私達急ぎの用なのです、通して下さい」
強気に発言したアリアを、トダシリアは大きく瞳を開いて見つめる。
威嚇して、今にも切りかかってきそうなトバエだが、その左腕にはアリアがいた。寄り添っている2人を何気なく見つめていたが、唾を吐き捨てるとトダシリアは腰の剣を引き抜きトバエに向ける。
「心外だな、トバエ。オレに質問なんぞしなくても、オレが現れた理由など知っているだろうに。だから背に必死で隠しているんだろう、アリアを。オレの標的がアリアだと……解っているんだろう?」
歯軋りするトバエと、軽く身動ぎするアリア。何故、自分の名が出たのか全く理解出来ない。トバエがアリアをきつく抱き締める、知らず、力を込めていた。あまりの強さにアリアが軽く眉を潜める。
「というわけで、アリアを貰いに来た」
「逃げるぞ、アリア!」
言うが早いか、トバエが氷柱をトダシリアに投げつける。アリアの腕を強引に引っ張り、荷物を放り捨てて近くに居た馬に飛び乗った。アリアを引き上げそのまま前に乗せるとそのまま、馬の腹を蹴り加速する。
「邪魔だ、退けっ」
機転を利かせて立ち塞がった兵士達にも氷柱を放つと、一気に馬で駆け抜ける。
周囲は、喧騒に包まれた。身を案じ、駆け寄ってきた兵に薄ら笑いを浮かべると、紙一重で避け地面に突き刺さっている氷柱を一瞥したトダシリア。そのままそこに火炎を投げつけた。
じわり、と氷柱は解けて水となり、地面に染み込む。その様を見つめていたトダシリアは、地面に広がる水を蒸発させんとばかりに、再び火炎を投げつけた。
「……水は、形を変えて氷になる。けれども、氷も形を変えて水に戻り、地に」
ぼそ、と呟いた言葉は誰にも聞こえなかった。
「水と地は、共に。大地に豊かな河があればその地は繁栄する……」
何を言い出したのかと、兵達は訝しげにトダシリアを畏怖の念で見つめた。トダシリアは暫し地面を見つめたままだったが、ようやく剣を腰に収めると不敵に笑った。
「どうやらこの時代、オレのほうが勝るらしい。……勝てる、”アイツ”に勝てる!」
両手を頭上に掲げた、トダシリアの瞳が妖しく光り、口角がにぃ、と上がっていく。
「ラファシの兵は帰国準備に入れ! あの2人を炙り出す」
途端、掲げた両手から四方に火炎球が飛び散った。地面に落下するもの、建造物に直撃し破壊するもの、街路樹に燃え移るもの、幾つもの球をトダシリアは発生させて飛ばし続ける。
「お、おやめくださいませ、トダシリア様! こ、これでは街が」
慌てて止めに入った一人の兵士だが、トダシリアに睨まれると喉の奥で悲鳴を上げてそのまま倒れ込む。絶命したのだ。彼の鎧はラファシのものではない、この街の兵士である。トダシリア配下のラファシ兵は、直様トダシリアの言いつけ通りに帰国準備に入っていた。命が惜しいからだ。
「面白いじゃないか、あの2人が何処まで逃げられるか。……古来より、狩りとは男が愉しむもの。極上の獲物を捕らえる愉しい愉しい時間の始まりだ。あぁ、この湧き上がる興奮と高揚感! 堪らない」
数人、地面に腰を抜かしている兵がいる。無論、ラファシの者ではない。トダシリアの異端である魔力を初めて目の当たりにすれば、誰とてこうなるだろう。だが、それでは逃げ遅れてしまう。
冷静に非難する兵達と、悲鳴を上げて逃げ惑う街の人々。あっというまに、街は炎に包まれていった。
「簡単に摑まるわけないよなぁ、トバエ? 抵抗してみろ、トバエェッ!」
その瞳は、生き餌を見つけ今にも飛びかからんとする獣の光に満ち溢れていた。愉快で仕方が無い時間が訪れる、欲求を満たすための貴重な時間だ。
「出て来い、トバエ!」
トダシリアが両手を勢い良く振り下ろすと、そこから燃え盛る炎が赤い光を放ちながら一直線に突き進んだ。避ける事ができなかった者は、瞬時に灰と化した。閃光と灼熱に周囲は覆われる。
「さて……」
前方の建物は、吹き飛んだので直進していくトダシリア。首を軽く鳴らす。
燃え盛っている街を歩く、その場にいるだけで火傷する温度だがトダシリアは術壁を身に纏い熱などもろともしない。それ以前に炎がトダシリアを避けているようにすら見えた。
「焼け野原にしたほうが、手っ取り早いか……」
言いながら、両手を四方に動かした。無造作に動かすだけで、出現した火炎球が飛び散り辺りを燃やしていく。消火活動など、出来るわけが無い。皆必死に街から逃れようと必死だった。
誰しも、敵わない事など見れば解っていた。
阿鼻叫喚で覆い尽くされた街、標的を炙り出す為に犠牲となる街。
ふと、トダシリアの歩みが止まった。
前方に影が二つ、立っている。トバエとアリアかとも思ったが身長の差から違うと直様解った。
肩を竦めて気の毒そうに瞳を閉じると、影に向かって会釈をするトダシリア。
その二つの影の周囲には、炎がない。掻き消えている。
「これはこれは、ルイス嬢の兄上ベリアス殿と……その弟君リオン殿。……こんにちは、結構なお天気で。お散歩ですかな?」
2人の男に呼びかける、喉の奥で笑いながらも瞳は全く笑みを浮かべていない。炎を操るにしては、妙に冷たく凍て付いた瞳をしていた。
立っていた2人の男は、真正面からトダシリアを見つめている。
1人は三十代前後に思えた、がっしりとした身体つきだが非常に端正な顔立ちをしている。槍を構えていた。
もう1人は二十代前後だろう、幼く華奢な身体だが杖を掲げて睨みつけている。
2人は、トダシリアがこの街を訪れていた要因の1つだ。この2人の妹をトダシリアの側室にと、話が浮上しており、本来ならば妹ルイス嬢がラファシを訪れる筈だったのだが、トダシリア自ら迎えに上がるとなりこうして滞在していたのである。
自ら足を運んだのは他でもない、この地に行けば何か愉快なことが起こると直感したからだ。でなければ顔すら知らない一人の女を、迎えに行くわけがない。女など、吐いて捨てるほどいるのだから。
ルイス嬢は名家の娘で、かなりの豪商として名を馳せている。この街を治めている一族だ。すでにトダシリアには百人ほどの側室を抱えつつ正妃に第五妃まで揃っているが、まだ足りない。
足りないというか、娘らを献上して来るので適当に皆を置いているだけだ。
トダシリア自身、誰が自分の側室なのか判っていない。暫く顔を合わせていない妃すら存在する。
「現代の王は凶王だと噂があったが、事実だったようだな」
ベリアスが口を開き、細い瞳を更に細める。軽く槍を振ってから、再び構え直す。
「赦さない……! この街の惨状、このまま生かしておけば同じ様な街が増えるだけ」
リオンが杖を振り翳した、憎悪に瞳が燃えている。
2人を興味深そうに見つめていたトダシリアだが、軽く首を傾げるとぱちぱち、と気だるそうに拍手をする。
「逃げる余裕があっただろうに、オレに向かってくるとは。その馬鹿さ加減を表しよう」
満足そうに微笑んだトダシリアは、目の前で敵意を露にし突撃してきた2人に両腕を差し伸べた。
勿論、そんなことで2人は足を止めない。リオンが杖から疾風を巻き起こした、ベリアスが光り輝く槍でトダシリアを突き刺そうとした。
「遠い昔。……オレが手にしていたのは火の力」
リオンの疾風を火炎の勢いで押し戻した、ベリアスの輝く槍を自ら作り出した燃え盛る炎の剣で受け止めた。驚愕の瞳でそれを見つめる2人に、軽やかにトダシリアは微笑む。
「お前達2人が手にしていた力は、光と風。……残念だったな、地獄の業火には敵わない」
直様次の攻撃態勢に入ろうとしたベリアスとリオンだが、不意に身体が硬直する。
「2人も力、所持していたんだなぁ……。トバエもだけど、どうやらオレが最も操る能力に長けているらしい。”昔とは”違うんだよ」
「ガハッ!」
「ベリアス!?」
途端、ベリアスの脇腹に火の剣が突き刺さった。肉が焦げる香りとベリアスの絶叫が響き渡る、リオンが再び杖を振り翳すがその身体を強大な火炎の壁が襲った。
「り、リオ……」
弟の姿が、瞬時に消えた。燃えカスすら、残らなかった。唖然とそれを見つめたベリアスの四肢に、火炎の弓矢が突き刺さる。地面に倒れこもうとするベリアスの首元を、無造作にトダシリアが掴んだ。
「おっと、地面に倒れてもらっては困るかなぁ。……残念だったな、お前ら2人も”また”会いたかったんじゃないか? ここに、居たのに。あぁ、それとも、お前はすでにトバエの目を掻い潜ってあの女を抱いているのかな? 今回手にしたのはトバエみたいだ、あの2人、”夫婦”なんだとよ。ククッ、笑えるだろ?」
「お、おま、おまえ、は」
ぜひぜひと呼吸しながら、ベリアスが哀れんだ瞳で一瞬トダシリアを見つめた。何故、そんな瞳で見つめられたのか理解出来なかったが、見下された気がして唾を吐き捨てるとトダシリアは力を篭める。
ベリアスの身体から、炎が溢れ出た。
「……トバエは、もっと歯ごたえあるよな? こんな2人みたいにあっさりと、平伏さないよな? あれぇ、オレ……強くなりすぎた? ククッ」
燃え盛る炎の中、立ち尽くすトダシリア。
「残念だったな、2人とも。……アンタのおかげで、如何に権力が役立つものか解ったよ。成程、素晴らしい。下々の者を顎1つで動かす事が出来る、皆がオレに頭を下げる……権力って、イイね」
ゆっくりと、笑い出す。腹の底から、笑いが込み上げてきて止まらなかった。
瞳を閉じれば、瞼に焼き付いて離れない美少女が浮かんだ。
「あれは、オレのだぁ! オレの、女だぁぁぁっ!」
トバエは、一人きり立っていた。周囲を見渡したが暗闇で何も見えない、瞳を賢明に凝らしてようやくその暗闇に慣れ始めた頃。無音な空間であることに気がついた。
アリアを探した、片時も離れた時などなかった筈だ。大声で呼ぶが返事が無い。
トバエは走った、名を呼び続けながらその暗闇を駆け抜ける。
何も、ない場所だった。足元は平坦で、周囲には物すらない。その異質な暗闇などは怖くなかった、ただ、アリアだけが心配だった。
一人きりで泣いているかもしれない、この空間の何処かにいる気がしてトバエは唇を噛締めて走り続ける。アリアも自分を探しているだろう、泣きながら探しているのだろう。
トバエは焦燥感に駆られ、足を軽くもつれさせた。だが、すぐに体勢を立て直すと再び走る。
しかしそれを嘲り笑うかのように、急に暗闇が膨張しトバエに襲い掛かってきた。漆黒の何かが、覆い被さってくる。
「アリア!」
トバエは、跳ね起きた。小刻みに震える身体からは、汗が噴き出している。両手を確認する、瞳を瞬きする、呼吸を整える。
額の汗を拭いながら、ようやく落ち着いて周囲を見渡した。部屋だった、自分の部屋だ。
まだ薄暗い、トバエの荒い呼吸だけが響き渡り、シン、と静まり返っており不気味である。
呻きながら隣で寝ているアリアを見つめた。間違いなく、そこに居た。
安堵し、大きく肩で息をすると未だに震えている自分の身体に軽く爪を立てる。妙に、気持ちが悪い。腹の奥で何かが蠢いているようで、誰かが背後で見ているようで。
たかが、夢だった。夢の筈だが妙に不安に襲われる。
汗で濡れた肌着が冷えて寒く、軽く身震いする。呼吸はまだ、整わない。
静まり返った早朝の空気の中、いやにトバエの息苦しい呼吸が響いた。似つかわしくなく、荒々しく。
自身の胸に手を置く、鼓動の速さが、嫌でも判る。
まるで、本当に全速力で駆け抜けていたみたいだった。
苛立ちを覚え、頭を振った。深呼吸を、一度、二度。アリアの髪を撫でながら、気持ちを落ち着かせる。
アリアは、その掌でトバエの衣服を掴んだまま眠りについていた。思わず、その手に自分の手を重ねて包み込む。暖かさが、トバエを安心させ溜息を吐かせた。
日中、トバエの目の届く場所にアリアはいる。離れるとすれば、夜、眠っている間だ。
同じベッドで横たわり、腕を絡ませて眠りにつくが眠っている間はアリアの姿を確認できない。
夜がアリアを連れ去ってしまわないようにと、それだけが不安だった幼き頃。常に傍にいて、誰も邪魔する者などいない筈だが、トバエは夜が些か怖かった。
地獄の帝王がもし存在するならば、アリアの美しさに惹かれて夜に紛れてやってきて、そのまま連れ去ってしまうのではないか……と。
ゆっくりとトバエは横たわると、アリアの額に口付けた。頬に、口付けた。
「アリア、恐らく君がオレを想う以上に、オレはアリアを愛している」
アリアが自分を慕い、愛情を注いでくれていることなど承知だが、それ以上に自分のほうが想いが強い事など判り切っていた。
死が2人を別つまで、共に居たい。寄り添って同じ時間を過ごして生きたい。
自分のこのもどかしいばかりの溢れ出る愛情を、全てアリアに伝える手段など、なかった。言葉では足りない、態度でも足らない。
解って貰わなくても構わないから、強く抱き締めたい。永久に同じ時を過ごせば、いつかはきっと気持ちが伝わるに違いない。
愛しい愛しいアリア、その花のような笑顔を護るためならばオレは何だってしよう……。
トバエは再び、いつしか眠りについていた。傍らにアリアを抱き締めながら。
「おはよう、トバエ。よく眠れた?」
眩しい陽射しが差し込んできた、トバエとアリアは口付けを交わす。起床時と就寝時に口づけることは日課だ、今後も続いていくだろう。
アリアは小さく笑うと、ベッドから這い出して朝食を作り始めた。くるくると動くアリアに微笑し、大きく伸びをするとトバエもベッドから出てくる。
小さく欠伸をして、忙しなく動いているアリアを見つめながら椅子に深く腰掛けた。
「他に、何もいらない。アリアがいて笑ってくれていればそれだけで満たされる」
小声で、呟いていた。
良い香りが漂ってきた、スープを温めなおしているのだろう。瞳を閉じながら今日は何をしようか思案するのだが、トバエはこめかみをひくつかせた。
あの、今朝方の夢が無性に気になった。あそこまでリアルな夢は、初めて見た。警告な気がしてトバエは軽く瞳を開く。
「水精……か?」
トバエは幼い頃から水を操ってきた。産まれながらに備わっていた、特殊な能力だと知ったのは物心ついてからだ。頻繁に使用してはいけない、と教えられた。それは、人に仇名す最凶の武器である。
トバエはこの能力など不要だと思っていたので、滅多に使うことは無かった。最後に使ったのはあの、忌まわしい城にまだ自分が身を置いていた頃だ。自分を暗殺しようとしていた者に、使った。
大気中の水分を瞬時に凍らせて、敵に打ちつける。標的を貫きたい時は、鋭利に尖った氷柱を作り出して投げつける。
そんな、特異な魔法を使用する際に傍に現れる影があった。その影をトバエは”水精”と呼んでいた。
人型のそれは、なんとなく男である気がした。
久しく、水精の存在は忘れていた。王子であった頃は、毎日と言って良いほど頻繁に姿を見せていたのだが。というのも、危険が迫ってくると水精が現れたのだ。
家臣の誰かが、命を狙っている。トダシリアが悪事を働こうとしているから、事前に防ぐべき。
常に自分の味方である水精は、未来の出来事を察知して夢で教えてくれたのだ。
「トダシリア、か」
トバエは心底嫌な顔をした、何故、早朝からこんな重苦しい溜息を吐かねばならないのか。今日一日億劫な日々を過ごさなければいけないのだろうか……引き攣った笑みを浮かべる。
思い出すことがなかった、双子の兄であるトダシリア。最も嫌悪する兄の顔が浮かぶ。
今まで、思い出したことなどなかったのに。
小さく、忌々しく言葉を吐き捨てる。今、兄は何をしているのだろうか? 国はどうなったのだろうか、荒廃しているのだろうか。
「忘れよう、ろくな事がなさそうだ」
もう二度と会う事はない筈だから、大丈夫だ安心しろ……。しかめっ面をして、テーブルに突っ伏すトバエだがアリアの動き回る足音に顔を上げる。
アリアを見つめていると、心の霧が晴れていくようだ。微笑してトバエは席を立った。
「出来たよ、朝食にしましょう」
「運ぶ、貸せ」
大きなトレイを運ぼうとしていたアリアからそれを奪い取ると、トバエは薄く微笑んだ。
「座っていてくれてよかったのに」
「2人でしたほうが早いだろ? 何でも2人でするんだ」
軽く肩を竦めるアリアの背を叩いて、トバエは手際よくテーブルに朝食を並べ始める。
質素だが非常に風味豊かなアリアの食事を口にすると、不思議と安堵の溜息が漏れる。
昨晩の野菜スープに手を加えて、牛乳を入れたミルクスープに小麦を水で溶いて丸めたものが入っている。それにベーコンの切れ端と野菜だ。
「いただきます」
アリアはスープを口に運ぶと、小さくすする。満足そうにトバエに笑いかけた、つられてトバエも微笑む。アリアの手料理で不味いものなどない。トバエも早速いただくと、昨晩の残りで作られたとは思えない野菜の旨みが染み出たスープが出来上がっていた。寝かせたからこそ、味が深くなったのだろう。
「今日も美味いな、アリア。オレはアリアのスープにはいつも驚かされる、大好きだ」
「ありがとう、トバエ。喜んでもらえるから、作り甲斐があるね」
数分、2人は無言で食事をする。満ち足りた表情で食事をしていたトバエに反し、アリアの表情は曇っていった。最終的にはスープを残して、スプーンを置いてしまう。
眉を潜め、トバエも食事の手を止めていた。
「アリア? どうした、気分でも悪いのか?」
青褪めているアリアに、思わずトバエは立ち上がると駆け寄る、軽く肩を抱く。
肩を揺すると、アリアは途端、大粒の涙を零していた。そしてトバエにしがみ付いたのだ。
「ゆ、夢を見たの。今朝、変な夢を見たの!」
トバエの表情が、強張った。震えるアリアを抱き締めながらも、自分も震え出したことに気がついた。
「いないの、トバエがいないの! 誰かがいるの、近くにいるの。でも、それはトバエじゃないの」
「……オレが……いない?」
トバエは、今朝見た夢を思い出した。闇の中で一人きり、アリアを探しているあの不気味な夢を思い出した。
「たかが夢なの、だけどね、すっごく怖かったの。押し潰されそうだったの、息苦しかったの……。忘れようとしたんだけど、思い出しちゃって」
最後のほうは、アリアの声が擦れていた。必死に宥めながら、トバエはアリアを抱き締める。
「落ち着いて、アリア。ほら、暖かいだろう? オレはここにいるよ、大丈夫だ」
嗚咽しているアリアを抱き締めながらも、自身も不安で仕方が無いトバエ。だが、恐ろしくて口には出せなかった、正夢になってしまいそうだったからだ。『同じ様な夢を見た』などと、言えない。
しかし、直感した。アリアも同時に夢を見るなど、ただ事ではない。恐らくこれは、危険予知だろう。
「……アリア、一旦この街を離れよう。楽器は出来上がった後で取りに来よう。厭な予感しかしない」
顔を上げたアリアは、不安そうに眉を顰めて泣いている。その唇に口付けて、トバエは早々に立ち上がった。
間違いなく、暗示である。今すぐに危険を回避せよと水精が告げているに違いない、とトバエは思った。街から立ち去れば、回避できるような気がした。
夢が指し示した未来は、2人の決別でしかない。何かしらの原因で2人は引き裂かれてしまうとしか、思えない暗示だった。
「ふざけるなよ……」
小さく呟いて、トバエは我武者羅に荷物を用意する。楽器を取りに頃合を見て戻るので、家はそのままにし、別の場所で簡易に暮らせるだけの衣服と全財産を所持した。
人目を気にするように、2人はフードを被って静かに家を出る。脇目も振らず、ただ街の門を目指した。門の出入り口に馬の貸し借り所があるので、そこで手続きする為に半ば駆け足になる。
自分達が出て行こうとしている、など知られてはいけない気がしてトバエは息を押し殺すように目立たない路地を通過する。勤務先に挨拶が出来ない事が心残りだが、一刻の猶予も無い気がしたのだ。
門が、見えたのでトバエは軽く溜息を零し、手を繋いでいたアリアに振り返る。が、アリアは不思議そうに門を見つめていた。
トバエも視線を戻すと、やたらと人だかりが出来ている。武装した兵達が妙に多く、街の住人達は何かに脅えてそわそわとしている。
「ちっ、こんな時になんなんだ……」
強盗事件でも起きたのだろうか、重々しい雰囲気に包まれている門だが、進むしかない。あそこからしか出られない。
強盗事件や殺人事件が起き、犯人を捜している最中だとすると馬の手配が厳しくなる。トバエは忌々しそうに舌を鳴らすと、アリアの手を引いて進み出た。
馬を借りる為に話をし、名前を記載している時である。
「現れたぞ! 囲め!」
傍らに立っていた兵が、大声で叫んでいた。何事かとトバエが振り返った時にはすでに、遅い。槍を四方から向けられており、馬屋の主人が悲鳴を上げている。
咄嗟にアリアを抱き締めると、腰に下げていた剣をトバエも引き抜いた。
「一体何だ!」
「あぁよかった、まぁ、鈍間なトバエのことだからそろそろ動く頃だとは思っていたけれど。……この街から逃亡を計るなんて、兄さんが許さないよ?」
トバエの身体が瞬時に凍りつく、今朝方の夢が現実になる気がした。一気に鳥肌が立つ、口にしたくなかった名前を、トバエは掠れた声で呟いた。
「トダ、シリア……」
「久し振り、トバエ」
兵達の中から、金銀細工を嫌味なほど身体に纏って現れたトダシリアは、大層機嫌がよさそうだった。子供の頃となんら変わりは無い、トバエの身に災いが降りかかる前の、トダシリアの笑みである。成長していたが、一目で自分の双子の兄だと解ってしまった。
面白がって、軽く手を振っているトダシリアに心底吐き気がした。残忍そうな瞳の光は、全く変わっていない。あの日のままだ。不敵に微笑む、その表情すら歪んで見える。
震えているトバエに気がついたアリアは、そっとフードからその相手を見つめた。
トバエに、よく似た顔立ちをしていた。といっても、目の前の相手のほうが若干幼く見える。無邪気な笑みを浮かべているように見えたが、トバエが恐れ戦いている様子にアリアは息を飲んだ。
常に傍にいて、力強く頼れるトバエが非常に小さく見える。
「貴方は……だぁれ?」
そんな恐縮しているようなトバエに代わり、彼を護ろうとアリアが一歩前に進み出た。舌打ちしてトバエが背に隠すが、遅い。
トダシリアはすでにアリアを視線で捕らえ舌なめずりしていた、トバエの顔が青褪める。喉の奥で笑うと、困ったように首を傾げるトダシリアはアリアに手を伸ばしていた。
「初めまして? になるんだろうな。トダシリアと申します、トバエの双子の兄ですよ、アリア」
「双子?」
あぁ、だから瞳の色も髪の色も同じで、どこか雰囲気が似ているのかとアリアは納得した。だが、怒鳴りつけるトバエの声に身体が震えて反射的にトバエの背に隠れる。
「どうしてお前がアリアの名を知っている! 一体何をしにオレの前に現れたっ」
怒りに溢れたトバエの表情を、アリアは息を飲んで見つめる。初めて見たのだ、大きく瞳を開き、全身で威嚇しているトバエを。常に寄り添ってきたがここまで敵意をむき出しにしているトバエは、想像すらしなかった。以前盗賊や人攫いに襲われた際とて、トバエは無表情で冷淡に敵をねじ伏せただけだ。
余程の相手なのだろうと、アリアは思い唇を固く結ぶ。トバエの敵は、自分の敵だと言い聞かせる。
双子の兄がいただなどと聴いてはいなかったが、話したくない事情があったのだろうと察した。
「あの、お兄様。私達急ぎの用なのです、通して下さい」
強気に発言したアリアを、トダシリアは大きく瞳を開いて見つめる。
威嚇して、今にも切りかかってきそうなトバエだが、その左腕にはアリアがいた。寄り添っている2人を何気なく見つめていたが、唾を吐き捨てるとトダシリアは腰の剣を引き抜きトバエに向ける。
「心外だな、トバエ。オレに質問なんぞしなくても、オレが現れた理由など知っているだろうに。だから背に必死で隠しているんだろう、アリアを。オレの標的がアリアだと……解っているんだろう?」
歯軋りするトバエと、軽く身動ぎするアリア。何故、自分の名が出たのか全く理解出来ない。トバエがアリアをきつく抱き締める、知らず、力を込めていた。あまりの強さにアリアが軽く眉を潜める。
「というわけで、アリアを貰いに来た」
「逃げるぞ、アリア!」
言うが早いか、トバエが氷柱をトダシリアに投げつける。アリアの腕を強引に引っ張り、荷物を放り捨てて近くに居た馬に飛び乗った。アリアを引き上げそのまま前に乗せるとそのまま、馬の腹を蹴り加速する。
「邪魔だ、退けっ」
機転を利かせて立ち塞がった兵士達にも氷柱を放つと、一気に馬で駆け抜ける。
周囲は、喧騒に包まれた。身を案じ、駆け寄ってきた兵に薄ら笑いを浮かべると、紙一重で避け地面に突き刺さっている氷柱を一瞥したトダシリア。そのままそこに火炎を投げつけた。
じわり、と氷柱は解けて水となり、地面に染み込む。その様を見つめていたトダシリアは、地面に広がる水を蒸発させんとばかりに、再び火炎を投げつけた。
「……水は、形を変えて氷になる。けれども、氷も形を変えて水に戻り、地に」
ぼそ、と呟いた言葉は誰にも聞こえなかった。
「水と地は、共に。大地に豊かな河があればその地は繁栄する……」
何を言い出したのかと、兵達は訝しげにトダシリアを畏怖の念で見つめた。トダシリアは暫し地面を見つめたままだったが、ようやく剣を腰に収めると不敵に笑った。
「どうやらこの時代、オレのほうが勝るらしい。……勝てる、”アイツ”に勝てる!」
両手を頭上に掲げた、トダシリアの瞳が妖しく光り、口角がにぃ、と上がっていく。
「ラファシの兵は帰国準備に入れ! あの2人を炙り出す」
途端、掲げた両手から四方に火炎球が飛び散った。地面に落下するもの、建造物に直撃し破壊するもの、街路樹に燃え移るもの、幾つもの球をトダシリアは発生させて飛ばし続ける。
「お、おやめくださいませ、トダシリア様! こ、これでは街が」
慌てて止めに入った一人の兵士だが、トダシリアに睨まれると喉の奥で悲鳴を上げてそのまま倒れ込む。絶命したのだ。彼の鎧はラファシのものではない、この街の兵士である。トダシリア配下のラファシ兵は、直様トダシリアの言いつけ通りに帰国準備に入っていた。命が惜しいからだ。
「面白いじゃないか、あの2人が何処まで逃げられるか。……古来より、狩りとは男が愉しむもの。極上の獲物を捕らえる愉しい愉しい時間の始まりだ。あぁ、この湧き上がる興奮と高揚感! 堪らない」
数人、地面に腰を抜かしている兵がいる。無論、ラファシの者ではない。トダシリアの異端である魔力を初めて目の当たりにすれば、誰とてこうなるだろう。だが、それでは逃げ遅れてしまう。
冷静に非難する兵達と、悲鳴を上げて逃げ惑う街の人々。あっというまに、街は炎に包まれていった。
「簡単に摑まるわけないよなぁ、トバエ? 抵抗してみろ、トバエェッ!」
その瞳は、生き餌を見つけ今にも飛びかからんとする獣の光に満ち溢れていた。愉快で仕方が無い時間が訪れる、欲求を満たすための貴重な時間だ。
「出て来い、トバエ!」
トダシリアが両手を勢い良く振り下ろすと、そこから燃え盛る炎が赤い光を放ちながら一直線に突き進んだ。避ける事ができなかった者は、瞬時に灰と化した。閃光と灼熱に周囲は覆われる。
「さて……」
前方の建物は、吹き飛んだので直進していくトダシリア。首を軽く鳴らす。
燃え盛っている街を歩く、その場にいるだけで火傷する温度だがトダシリアは術壁を身に纏い熱などもろともしない。それ以前に炎がトダシリアを避けているようにすら見えた。
「焼け野原にしたほうが、手っ取り早いか……」
言いながら、両手を四方に動かした。無造作に動かすだけで、出現した火炎球が飛び散り辺りを燃やしていく。消火活動など、出来るわけが無い。皆必死に街から逃れようと必死だった。
誰しも、敵わない事など見れば解っていた。
阿鼻叫喚で覆い尽くされた街、標的を炙り出す為に犠牲となる街。
ふと、トダシリアの歩みが止まった。
前方に影が二つ、立っている。トバエとアリアかとも思ったが身長の差から違うと直様解った。
肩を竦めて気の毒そうに瞳を閉じると、影に向かって会釈をするトダシリア。
その二つの影の周囲には、炎がない。掻き消えている。
「これはこれは、ルイス嬢の兄上ベリアス殿と……その弟君リオン殿。……こんにちは、結構なお天気で。お散歩ですかな?」
2人の男に呼びかける、喉の奥で笑いながらも瞳は全く笑みを浮かべていない。炎を操るにしては、妙に冷たく凍て付いた瞳をしていた。
立っていた2人の男は、真正面からトダシリアを見つめている。
1人は三十代前後に思えた、がっしりとした身体つきだが非常に端正な顔立ちをしている。槍を構えていた。
もう1人は二十代前後だろう、幼く華奢な身体だが杖を掲げて睨みつけている。
2人は、トダシリアがこの街を訪れていた要因の1つだ。この2人の妹をトダシリアの側室にと、話が浮上しており、本来ならば妹ルイス嬢がラファシを訪れる筈だったのだが、トダシリア自ら迎えに上がるとなりこうして滞在していたのである。
自ら足を運んだのは他でもない、この地に行けば何か愉快なことが起こると直感したからだ。でなければ顔すら知らない一人の女を、迎えに行くわけがない。女など、吐いて捨てるほどいるのだから。
ルイス嬢は名家の娘で、かなりの豪商として名を馳せている。この街を治めている一族だ。すでにトダシリアには百人ほどの側室を抱えつつ正妃に第五妃まで揃っているが、まだ足りない。
足りないというか、娘らを献上して来るので適当に皆を置いているだけだ。
トダシリア自身、誰が自分の側室なのか判っていない。暫く顔を合わせていない妃すら存在する。
「現代の王は凶王だと噂があったが、事実だったようだな」
ベリアスが口を開き、細い瞳を更に細める。軽く槍を振ってから、再び構え直す。
「赦さない……! この街の惨状、このまま生かしておけば同じ様な街が増えるだけ」
リオンが杖を振り翳した、憎悪に瞳が燃えている。
2人を興味深そうに見つめていたトダシリアだが、軽く首を傾げるとぱちぱち、と気だるそうに拍手をする。
「逃げる余裕があっただろうに、オレに向かってくるとは。その馬鹿さ加減を表しよう」
満足そうに微笑んだトダシリアは、目の前で敵意を露にし突撃してきた2人に両腕を差し伸べた。
勿論、そんなことで2人は足を止めない。リオンが杖から疾風を巻き起こした、ベリアスが光り輝く槍でトダシリアを突き刺そうとした。
「遠い昔。……オレが手にしていたのは火の力」
リオンの疾風を火炎の勢いで押し戻した、ベリアスの輝く槍を自ら作り出した燃え盛る炎の剣で受け止めた。驚愕の瞳でそれを見つめる2人に、軽やかにトダシリアは微笑む。
「お前達2人が手にしていた力は、光と風。……残念だったな、地獄の業火には敵わない」
直様次の攻撃態勢に入ろうとしたベリアスとリオンだが、不意に身体が硬直する。
「2人も力、所持していたんだなぁ……。トバエもだけど、どうやらオレが最も操る能力に長けているらしい。”昔とは”違うんだよ」
「ガハッ!」
「ベリアス!?」
途端、ベリアスの脇腹に火の剣が突き刺さった。肉が焦げる香りとベリアスの絶叫が響き渡る、リオンが再び杖を振り翳すがその身体を強大な火炎の壁が襲った。
「り、リオ……」
弟の姿が、瞬時に消えた。燃えカスすら、残らなかった。唖然とそれを見つめたベリアスの四肢に、火炎の弓矢が突き刺さる。地面に倒れこもうとするベリアスの首元を、無造作にトダシリアが掴んだ。
「おっと、地面に倒れてもらっては困るかなぁ。……残念だったな、お前ら2人も”また”会いたかったんじゃないか? ここに、居たのに。あぁ、それとも、お前はすでにトバエの目を掻い潜ってあの女を抱いているのかな? 今回手にしたのはトバエみたいだ、あの2人、”夫婦”なんだとよ。ククッ、笑えるだろ?」
「お、おま、おまえ、は」
ぜひぜひと呼吸しながら、ベリアスが哀れんだ瞳で一瞬トダシリアを見つめた。何故、そんな瞳で見つめられたのか理解出来なかったが、見下された気がして唾を吐き捨てるとトダシリアは力を篭める。
ベリアスの身体から、炎が溢れ出た。
「……トバエは、もっと歯ごたえあるよな? こんな2人みたいにあっさりと、平伏さないよな? あれぇ、オレ……強くなりすぎた? ククッ」
燃え盛る炎の中、立ち尽くすトダシリア。
「残念だったな、2人とも。……アンタのおかげで、如何に権力が役立つものか解ったよ。成程、素晴らしい。下々の者を顎1つで動かす事が出来る、皆がオレに頭を下げる……権力って、イイね」
ゆっくりと、笑い出す。腹の底から、笑いが込み上げてきて止まらなかった。
瞳を閉じれば、瞼に焼き付いて離れない美少女が浮かんだ。
「あれは、オレのだぁ! オレの、女だぁぁぁっ!」
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