別サイトへ投稿する前の、ラフ書き置場のような場所。
いい加減整理したい。
※現在、漫画家やイラストレーターとして活躍されている方々が昔描いて下さったイラストがあります。
絶対転載・保存等禁止です。
宜しくお願い致します。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
駆け寄ってきたアロスを見て、ユリは口角を上げる。まるで、子犬みたいだと思った。馬鹿で誰にでも懐いてしまう、子犬のようだと。何も疑うことなく自分を見つめてくる目の前の美少女に、躊躇などしない。
罪悪感など何もない、気の毒だとも思わない。
女が生きていく為には、他人を蹴落とさねばならないのだ。自分で運命を手繰り寄せなければならない。
ユリにとって、平穏な時間を続ける為にはアロスが邪魔だ。日陰でも良い、別に国王の后になどならなくても良い。ただ、平凡な娘以上の衣食住があればそれでよかった。
「何して遊ぶ? アロスちゃんは何が好きなの? あ、私のお部屋に来ない? お庭じゃ寒いでしょう?」
この雪がちらつく庭園で、座り込んで花を見ているアロスがユリには信じられなかった。寒くて、今すぐにでも後宮の部屋に戻りたかった。足元には、小さなみすぼらしい花が咲いている。白くて、小さなその花を一心不乱にアロスは見ていた。
何が楽しいのか、ユリには全く解らない。
アロスの手を、そっと握ってにこやかに微笑むと、アロスは大きな目を輝かせた。
じぃ、っと繋がれた手を見ている。
同じ年頃の友達がいなかったアロスにとって、同姓から手を握られたことは初めてだった。暖かで柔らかな、トシェリーやトリフとはまた違った感触のユリの手。
嬉しくて微笑んでいるアロスを、内心鼻で笑う。なんて、お馬鹿な子! 人を疑うことを全く知らない清らかな娘なのだろう、自分とは全く違う。周囲に気を使い、情報の糸を張り巡らせて必死に張り詰めて生きている自分は、人を疑うことから始める。打算して動く。
恐らく、今まで何も辛い目に合ってきていないであろうアロスの、危機感のなさにユリは呆れ返った。
同時に、余計に腹立たしくも思えた。
不公平だ、これで目の前の娘が后にでもなったら、発狂しそうだ。
全力で、潰す。国王に買われて溺愛されて、后に熨し上がるなど、夢のまた夢物語。現実になど、させない。
強く、アロスの手を握り締めてユリは笑う。不思議と、憎らしいと思えば思うほど、笑みが零れた。
楽しくて、仕方がなかった。目の前の娘が泣きながら、放り出される姿を想像してみれば笑いが込み上げるのが当然だ。
「さぁ、行きましょうアロスちゃん。ここに居ては風邪をひいてしまうわ、あ、あったかい飲み物でもいかが?」
こうして、何も疑わないアロスはユリの手に引かれて後宮へと入っていった。
ユリと連れ立って歩くアロスの姿を見ては、女達は瞳を釣り上げて密やかに語り合う。が、ミルアが静かに接近し、耳元で計画を囁けば皆が微笑した。氷の様に冷たい瞳で、アロスに微笑みかけて頭を下げた。軽く手を振って、アロスに挨拶をした。
綺麗な衣装を着た美女達にアロスは溜息を吐く、ひらひらしていて煌びやかな後宮の女達は刺激的だ。何度か父であるアルゴンキンとパーティへ出向いたが、そこで見た女性達が大勢居る。
嫉妬と欲望渦巻く後宮など知らず、アロスは皆に挨拶をしてユリと歩いた。
ユリの部屋で、人形遊びをしたり、菓子を摘んだり、ユリの国の話を聴く毎日が始まった。トシェリーが不在の時のみなので、短時間ではあったが、アロスは後宮へ出入りすることが楽しかった。
この場所が何かなど、アロスは知らない。ただ、優しい女性達が住まう場所なのだと。
それだけ、思った。やがて、ユリの部屋へ行く途中にも、女達から菓子を貰った。「御機嫌よう、アロス様」と、声も掛けて貰えた。アロスは、大好きなトシェリーと居られない時にも、たくさんの友達が出来たと、とても喜んだ。
流行の衣装も見せてもらった、ユリの話は楽しくて、アロスは夢中になる。
「ねぇ、あのお馬鹿ちゃん。何も疑わないのね」
「面白いわよねぇ、うふふ、どうやって虐めようかしらね」
最初から突き放すよりも、懐いてからのほうが精神的に傷が深くなる。女達は、アロスを”お馬鹿ちゃん”と呼び、失脚させる日を、待ち望んだ。手を振り、頭を撫で、にこやかに微笑みながら内心嘲笑する。
たった一人の、小さな生贄。
ガーリアはそんな女達の様子を眉を顰めて見つめていた、あまりにも辛辣だと。なんと醜悪な女達の性質だろうか、眩暈がした。トシェリーに忠告してみるべきか、アロスに直接言うべきか。
思案していたが、お付の女中に制された。関われば、こちらにも被害が及ぶ、と。
ガーリアは、女中の必死の訴えに折れた。ガーリアと共に、渦中に立たされることが嫌なのだろう。
後宮内でアロスの姿を見つめれば、後ろめたさを隠すようにガーリアは逃げるように身を翻した。
「アロス? 最近楽しそうだな。オレが居ない間は何をしているんだ?」
寝所で、アロスが何かを思い出し微笑んでいた姿を見たトシェリーは、不思議そうに訊ねた。まさか、後宮に出入りし、女達と仲良くしているなどとは知らない。まして、思わない。
アロスは、身振り手振りで説明しようとしたのだが解るわけもない。
苦笑してトシェリーは唇を塞ぐ。
「何が楽しいのか知らないが……オレと居る時よりも楽しいのか?」
言われて猛烈にアロスは首を横に振る、全力で否定した。ぎゅう、とそのまま抱きついて違う、違うと訴えるアロスに安堵したトシェリーは、静かに抱き締める。
「なら良い。今、全力で医者を捜しているからな。声が出るようになったら必ず最初にオレの名を呼べよ、それから愛していると言えば良い。楽しみだろ?」
全身に愛おしく口付けながら、囁くトシェリーにアロスは頷く。今宵もまた、2人は肌を重ねた。それが、必然だった。心地良かった。
「だがな、アロス。あまりオレ以外に興味を持って欲しくはない……」
疲れて眠りに入ったアロスの耳元で、トシェリーはそう囁く。小さく寝息を立てて、しがみ付いて眠っているアロスに口付けながら、何度も何度も、トシェリーはその台詞を囁いた。
眉を潜めて、困惑気味に囁いた。本音を、曝け出す。
髪に指を通しながら、強く抱き締めてトシェリーも眠りに就いた。身体が小刻みに震えていることに、気がつかず。
ある日、アロスはユリの室内で大きく腕をばたつかせた。ユリの衣服を引っ張り、必死に何か訴える。
「な、何? どうしたの? ……え? ペン? ……あぁ、羊紙? 手紙? 手紙が書きたいのね?」
アロスの視線を追って、ユリがたどたどしく口を開く。
ぱぁ、と零れるような笑みで笑うとユリに抱きつくアロス。解ってもらえて嬉しかったのだ。
流石は、友達だとアロスは思った。その場で飛び跳ねる。
「あ、ちょ、ちょっとアロスちゃん。う、うふふ、もう、そんなに喜んで。私達、友達……いえ、親友でしょ? 言いたいことくらい解るよ」
苦笑してそう言ったユリに、思わずアロスは瞳を潤ませた。親友。なんという響きだろう。
初めて言われ、その場で震えると涙を溢す。慌ててユリが、頬を伝う涙を手持ちの布で拭った。
「もう、大袈裟ねアロスちゃん。泣かなくてもいいのに。ねぇ、私達、親友でしょ?」
大きく頷いたアロスに、ユリは笑った。ちょん、と鼻先を指で突く。
「ふふ、よかったぁ、同じ思いで! さぁ、親友のアロスちゃん。お手紙書きたいんでしょ? トシェリー様に書くの?」
アロスを椅子に座らせて、ペンと紙を用意したユリは、アロスの顔を覗きこむ。
恥ずかしそうに俯いたアロスに、ユリは微笑した。
「トシェリー様が、アロスちゃんは大好きなんだね。解るよ、だって親友だもの」
アロスがペンを手にする。そうして、ゆっくりと書き始めた。
ユリは「飲み物を持ってくるね」とだけ告げると、室内の出入り口に向かう為、身体を反転させた。
舌打ちして、憎らしげにアロスを小さく振り返るとそのまま出て行く。
「……何が親友よ、馬鹿らしい。あの子と遊ぶの、疲れるわぁ~……。ホント、お馬鹿ちゃん」
「なら、やめたら良いのに」
突然声をかけられ、心臓が飛び出る勢いで振り返ったユリの形相は悪魔のようだった。
立っていたのは、ガーリアだ。涼しげな瞳で、真正面からそれだけ言うと、そのまま脇を擦り抜けて立ち去る。
「そう仰るのなら、貴女様も見て見ぬ振りは止したらどうですか? 同じ穴のムジナですよ」
語尾の口調を強めてユリがそう発言したのを、自嘲気味に笑って受け流す。言われなくても、解っているとでも言うように。
再び舌打ちすると、ユリは忌々しそうに壁を蹴り上げた。何度も、蹴り上げた。呼吸が乱れて、髪が振り乱れても、全てが気に入らなくて蹴り上げた。
微塵も疑わないアロスも憎い、唐突に責めるような瞳で見ていたガーリアに口を出されたことも憎い、自分だけが必死にアロスの世話をして、周囲の女達が頑張って、とお気楽に言っているのも憎い。
何もかもが、気に入らない。何故、こんなに自分だけが必死にならなければいけないのか。
大きく肩で息をして、ユリは自分の腕に爪を立てると飲み物を運んだ。足取りが重いが、行くしかない。
アロスは懸命に手紙を書き綴っていた、ことん、とコップを置いたユリは、何を書いているのか覗こうとする。
と。
「大変! トシェリー様がアロスを捜しているわよ! 帰さないと」
見知った女が部屋に転がり込んでくる。ユリは思わず手紙をアロスから奪い取ると、机の引き出しにそれを隠した。
「急いで、アロスちゃん。お手紙、まだ見られたくないでしょ? 途中でしょ? また書けば良いもの、さぁ急いで!」
ユリに引き摺られるように、アロスはそのまま部屋を出た。
女達に見送られて、アロスは懸命にトシェリーの許へと走る。夢中で手紙を書いていたので、時間が過ぎるのが早かったのだ。
息を切らせて戻ってきたアロスに、怪訝にトシェリーは眉を顰めた。
「アロス。オレが戻る前に、お前は部屋に居ろ。オレを待たせるな」
多少怒気を含んだような声に、思わずアロスは姿勢を正すと申し訳なさそうに瞳を伏せる。深く頭を下げると、ぎゅっと衣服を掴んで震える。
その様子に、可哀想になった。そこまで怒ったつもりはないのだが、呆れたように溜息を吐いたトシェリーは、頭をかきながらアロスを引き寄せた。そのまま口づける。
「全く、このおてんばめ」
声が出たらば、アロスは「ごめんなさい」と告げただろう。唇はそう、動いていた。
翌日、ユリに連れられてアロスは厨房に居た。
「アロスちゃんのことなら、なんでも解るわ。私達、親友だもの。ねぇ、トシェリー様を喜ばせたいでしょう? お菓子、作ってみない? ほら、材料は用意したわ! 昨日のお手紙と、お菓子をお渡しするのよ。きっと喜んでくださるわ。アロスちゃんが喜ぶと、私も嬉しくて。ねぇ、どう?」
そう言うユリに、アロスは涙を浮かべる。鼻をすすって、顔を赤らめると抱きついた。
「あ、あらら、アロスちゃんったら! また泣いてるの? さぁ、早く作ろう?」
昨日、トシェリーに起こられたアロスはこれで少しでも償いが出来ればと意気込んだ。菓子など作ったことがないが、ユリも手伝ってくれたし、経験ある後宮の女達も数人来てくれた。
アロスは感謝で胸が一杯になり、一人一人の手をとって握り締めて微笑む。
女達は徐に微笑み返したが、調理を始めたアロスに冷ややかな視線を送った。
汚らわしいものでも触ったかのように、手を拭う女達。くすくすと、中傷を囁きあいながら菓子を作るアロスを後方から眺めていた。計画は、大詰めだった。ついに、女達が一斉に手を組んで攻撃を密かに開始したのだ。
菓子を焼き上げたアロスに、1人の女が香水を振る。「流行の香りよ」と説明したが、それは貴族の男達が好んで使う香りだ。アロスは、嬉しそうに頭を下げた。女はけたけたと内心笑い続ける。
「アロスちゃん、お手紙を私取って来るからね。お菓子持って先に行ったら?」
ユリと歩きながらそう振られて、アロスは首を横に振った。手紙は、途中だったのだ。まだ、書き足りなかった。
だが、そこへ。
「またトシェリー様がアロスを捜しているわ! 早く!」
「た、大変! アロスちゃん、とりあえず手紙は後日にしてお菓子を」
慌てふためきながら走ってきた女に、2人も右往左往する。我に返ったユリに引き摺られて、アロスは菓子を手にしたまま、走った。
また、遅れてしまったらしい。今日も、怒られる。約束をしたばかりなのに。
アロスは焦る気持ちを抑えて、必死に走った。早く駆けつけようと、懸命に走った。いつしか、先を走っていたユリを追い越して引き摺りながらも、走った。
トシェリーが、立っていた。周囲には、女達が集まっていた。
注がれた視線に、違和感を感じたアロスだが、ユリが手を放し、1人で歩き出す。
強張った表情のトシェリーに、瞳を伏せながらアロスは恐々と菓子を差し出した。
やはり、怒っているのだろう、昨日の言いつけを守ることが出来なかったから。
震えるアロスの手から、菓子を受け取ったトシェリーは、紙に包んであった中身を取り出す。
「……菓子を焼いていたのか?」
小さく頷いたアロスに、小さく溜息を溢したトシェリーは、しげしげとそれを見つめると菓子を摘む。口を開いて菓子を放り込もうとした時だった。
「トシェリー様、なりません! その菓子には毒が盛られておりますっ」
アロスの後方から、先程一緒に菓子を作っていた女達が怒涛の勢いで走ってきた。アロスを擦り抜けて、トシェリーから菓子を奪い取ると、それを床に捨てて足で踏み潰す。
唖然と見ていたアロスを、憎らしげに見つめた女達。その視線に喉の奥で悲鳴を上げたアロスは、一歩後退した。見れば、周囲の女達もが、同じ目で見ていた。
何事かと、震えるアロス。後宮で、和やかに微笑みを交わした女達の瞳が、鋭く、痛い。胸を刺されるような痛みだった。
「見てください、調理場を覗きましたらば猛毒の実の欠片が落ちていたのです! まさかとは思いましたが……」
「知らずに使ったのだろう」
捲くし立てる女に、怪訝な瞳を投げかけたトシェリーだが、女達は引かない。皆、口裏をあわせているので怖いものなど何もなかった。
「いいえ! トシェリー様とてご存知では? この子は植物が好きなようですし、最近庭をうろついていると思ったらこれを探していたのですわ。立派な殺意です」
「どうしてオレが殺意を抱かれなければならん」
眉間に指をあてて、瞳を細めたトシェリーに女は大きく息を飲み込んだ。萎縮した女に代わって、他の女が前に出る。
「男ですわ」
「は?」
「ほら、トシェリー様。この子の身体には男の香りが……」
先程、アロスに振りかけられた”貴族の男が使用する”香水の香りを、トシェリーとて確認する。自分の香りではない、そして、女達も使わない。
狼狽しているアロスの目の前で、トシェリーの瞳が釣り上がった。口角が引き攣り、目が血走る。
白々しく知らない素振りをしているようなアロスに見えたトシェリーは、軽く笑った。そういえば、息を切らせて走ってきたこともあった。他の男と密会でもしていたのだろうか。
部屋で楽しそうに微笑んでいる回数が多くなった、それは男を思ってのことか。
と、考え出したらキリがない。全てのことが、見知らぬ男に繋がる。
必死で否定したのは、真実を突きつけられなんとか許してもらおうとしたからなのか。
トシェリーは、低く笑った。笑いながらアロスに近づくと、細い首に手をかけ、爆笑する。
青褪めた顔で突っ立っていたアロスの首にかけられたトシェリーの手は、酷く冷たかった。背筋が凍りそうなほど、冷たかった。
「成程、狡猾な女だ。あれほど……オレが……っ!」
そのまま、身体を持ち上げる。アロスの身体が浮き上がった、首が絞まり、口から泡を吐き天井を見上げたアロス。女達がその様子に小さく悲鳴を上げる。
「この……阿婆擦れがっ! お前は、お前はっ!」
苦しくて、アロスは手をトシェリーの腕に伸ばそうとした、が、届かない。力が入らず、手が動かない。意識が遠退いた、視界が消えていく。
「このオレをコケにしやがってっ! 大金叩いて買ってやった恩が、これかっ! どの男だ!? 間男は何処にいるっ」
アロスは、そのまま地面に叩きつけられた。放り出されたのだ、床に転がり痙攣する。悲鳴を上げる女達を気にせず、血走った瞳でトシェリーはうつ伏せのアロスの背に思いきり足を踏み下ろす。
鈍い音が、響いた。骨が折れたのだろう、アロスの身体が海老反りになる。
何度も、トシェリーは足を踏み下ろした、そのたびにアロスの身体は跳ね上がった。
「お前は、お前はっ!」
アロスは、声が出なかった。声が出せていたら、それが偽りであると伝えることが出来た。だが、声が出ない。
そして、女達は皆結託している。誰も、異を唱えるものなどいなかった。
アロスは、何故こんな目に合っているのか解らず、身に覚えのない言われに困惑する。
それでも、望みがあった。親友の、ユリがいる。彼女がきっと真実を伝えてくれるはずだと、アロスは無意識でユリを探すように手を伸ばす。
だが、ユリは何も言わなかった。救いの手を、差し伸べることはなかった。
笑いを必死に堪えているミルアの後方で、ただ、静かに。無表情で暴行されているアロスを見ていた。
「誰か! 誰か、この阿婆擦れの間男を知っている者はいないのか!」
絶叫するトシェリーに、何事かと駆けつけた家臣達は目を疑った。血を吐いて蹲っているアロスと、狂気の沙汰で暴行を加え続ける若き国王に、何が起きたのか意味が解らず混乱する。
女達は舌打ちした、後宮の女達しか、口裏を合わせていないのだ。長引けば、アロスの潔白が証明されてしまう。
ミルアは焦りながらも何処か冷静に脳内で、糸口を探した。
「こ、国王よ。一体何が……」
「貴様かっ! 貴様が」
声をかけた男に、食い入るトシェリーだが、ユリが飛び出す。そして土下座した。
「トシェリー様、ご報告が遅れてしまって、申し訳ありません。私は見ました、外から来る、男で御座いました。見間違いかと思ったのですが……」
「外から、だと!? 貴族の男が何ゆえ外から来るんだ!?」
「私も見てしまいましたわ、ユリの言う通りで御座います。トシェリー様がその娘を買い取ったことは、評判のようで、一目見ようと興味本位でやってきた男だと思われます。ですが、私が見ただけでも3人ほど……」
「ま、間男は一人ではないと言うのかっ。……この、汚らわしい雌豚がっ」
しおらしく寄り添って囁いたミルア。女達が一斉に顰めく、私も見たわ、と。
まさか、アロスが嵌められているなどとは思わないトシェリーは、演技する女達の手中に入った。
アロスを信じられなかった、少しでも疑えば、それは増幅していく。
男達は状況が把握できずに、ただ、立ち尽くすだけだった。ただ、無残な姿で転がっているアロスが気がかりで視線を何度も送る。
気がすまないらしく、トシェリーはアロスの髪を掴んで持ち上げると何度も頬を殴打した。床に何かが音を立てて転がったが、それは歯だ。頬は紫に腫れ上がり、美しかった顔立ちは今は化物のごとく。
腹を蹴り上げた、何度も蹴り上げた。身体中に痣が出来た。
気味が悪い、と女達は視線を逸らしては衣服の袖に隠れて笑った。
「この場で首を刎ね様か! ……いや、流刑するか。生き地獄を味わうがいい!」
絶叫し、床に投げ捨てたアロスの右手首を踏みつける。鈍い音がした、また骨が折れたのか、砕けたのか。
声が出ないので、悲鳴を上げることもなかったアロスの痛みなど誰も解らない。
唾を吐き捨て、立ち去ったトシェリーを慰めようと、ここぞとばかりに女達が群がった。
指示でアロスの身体が囚人を収容する極寒の地へ運ばれることになったが、その様子をユリは見ていた。
「さようなら、お馬鹿ちゃん」そう、唇を動かす。
痛みで気を失っていたアロスは、それでも涙を流した。
親友のユリは何処へ消えたのか、優しかった綺麗な女達は何故突然嘘を言い始めたのか、そして愛しいトシェリーは。
起きては痛みで気を失い、虚ろな瞳で身体を引き攣らせては血を吐いた。
運ばれる馬車には屋根などなく、ただ、雪が降りしきる中荷台に乗せられて運ばれた。身体中は凍傷し、指先は壊死した。
腹部に激痛が走った、悶えたくとも、身体中が痛くてただ、微かに動くばかり。
「おい、様子がおかしくないか?」
「まぁ死んでもどうってことないだろう。国王殺害を企てた奴らしいからな」
「こんなに小さいのに? くわばらくわばら。……一応記載しておくか、容態は……ん?」
「たまげたな! 流産だ」
「清純を装って国王に取り入った阿婆擦れらしいぞ、王族に不埒な態度をとっても極刑に出来るらしいし。父親もそうなると誰だか解らんな。……だがまてよ、父親が国王の可能性もないか?」
「だなぁ、まぁ、こんな犯罪者の女から産まれた子では国王とて喜ばないだろうよ。”囚人アロス:流産”と。やれやれ、面倒だなぁ、死んだらその辺りに捨て置けばよいかねぇ、死刑にしてくれればよかったのに」
運が良いのか、悪いのか。アロスは息絶えることなく流刑所に到着した。
その頃、血眼でアロスを捜していたトリフとベイリフが合流し、共にブルーケレン領に入っていた。
2人とも、不可解な事態に気がついたので、必然で出逢ったのだ。
行く先で、突然火事を起こし全焼している酒場や宿があった。それは点々と時期がずれて続いていた。
何処かへ向かうように、追い続ければ港町である。
不審に思い調べていたトリフと、同じく調べていたベイリフは港町で遭遇する。互いに面識はあったので、経緯を話した。
アロスに気に入られたほうが、夫になる権利を得られる……。
資金が底を尽きそうだったトリフは、断腸の思いでベイリフと行動を共にすることにしたのだ。金がなくては、渡航出来ない。ベイリフの有り余る金で優雅に新たな大陸に来た2人は、ここでようやく糸口を掴んだ。
ブルーケレンの国王が、それは可憐な美少女を后にしようとしている、という噂である。
新緑のような髪に、神秘的な光を宿す深緑の瞳。アロス以外に有り得ないと2人はブルーケレンを目指したのである。
道中で、トリフは人々の視線が気になった。ベイリフも数奇な瞳で見てくる人々に眉を寄せた。
何かと訊ねてみれば、トリフが現国王に似ている、というのだ。
噂では、国王には双子の弟がいたが、縁起が悪いとのことで弟は殺されたと。
ベイリフは嘲笑した、肩を叩きながらトリフに囁く。「成程、貴殿は王族か」
トリフは興味ないとばかりに、先を急いだ。だが、なんとなく気付いてはいた。ブルーケレンが近づくにつれ、自分の首にかかっているペンダントの紋章をよく見かけていると。生まれたときに首に下げていたらしい、それ。
間違いなく、自分はその捨てられた双子の弟だと、トリフは直感した。
アロスを手中にしているのは、つまり自分の双子の兄ということになる。
皮肉な運命に、トリフは自嘲気味に笑った。
まさか、アロスが死の淵にいるとはまだ、思わずに。
罪悪感など何もない、気の毒だとも思わない。
女が生きていく為には、他人を蹴落とさねばならないのだ。自分で運命を手繰り寄せなければならない。
ユリにとって、平穏な時間を続ける為にはアロスが邪魔だ。日陰でも良い、別に国王の后になどならなくても良い。ただ、平凡な娘以上の衣食住があればそれでよかった。
「何して遊ぶ? アロスちゃんは何が好きなの? あ、私のお部屋に来ない? お庭じゃ寒いでしょう?」
この雪がちらつく庭園で、座り込んで花を見ているアロスがユリには信じられなかった。寒くて、今すぐにでも後宮の部屋に戻りたかった。足元には、小さなみすぼらしい花が咲いている。白くて、小さなその花を一心不乱にアロスは見ていた。
何が楽しいのか、ユリには全く解らない。
アロスの手を、そっと握ってにこやかに微笑むと、アロスは大きな目を輝かせた。
じぃ、っと繋がれた手を見ている。
同じ年頃の友達がいなかったアロスにとって、同姓から手を握られたことは初めてだった。暖かで柔らかな、トシェリーやトリフとはまた違った感触のユリの手。
嬉しくて微笑んでいるアロスを、内心鼻で笑う。なんて、お馬鹿な子! 人を疑うことを全く知らない清らかな娘なのだろう、自分とは全く違う。周囲に気を使い、情報の糸を張り巡らせて必死に張り詰めて生きている自分は、人を疑うことから始める。打算して動く。
恐らく、今まで何も辛い目に合ってきていないであろうアロスの、危機感のなさにユリは呆れ返った。
同時に、余計に腹立たしくも思えた。
不公平だ、これで目の前の娘が后にでもなったら、発狂しそうだ。
全力で、潰す。国王に買われて溺愛されて、后に熨し上がるなど、夢のまた夢物語。現実になど、させない。
強く、アロスの手を握り締めてユリは笑う。不思議と、憎らしいと思えば思うほど、笑みが零れた。
楽しくて、仕方がなかった。目の前の娘が泣きながら、放り出される姿を想像してみれば笑いが込み上げるのが当然だ。
「さぁ、行きましょうアロスちゃん。ここに居ては風邪をひいてしまうわ、あ、あったかい飲み物でもいかが?」
こうして、何も疑わないアロスはユリの手に引かれて後宮へと入っていった。
ユリと連れ立って歩くアロスの姿を見ては、女達は瞳を釣り上げて密やかに語り合う。が、ミルアが静かに接近し、耳元で計画を囁けば皆が微笑した。氷の様に冷たい瞳で、アロスに微笑みかけて頭を下げた。軽く手を振って、アロスに挨拶をした。
綺麗な衣装を着た美女達にアロスは溜息を吐く、ひらひらしていて煌びやかな後宮の女達は刺激的だ。何度か父であるアルゴンキンとパーティへ出向いたが、そこで見た女性達が大勢居る。
嫉妬と欲望渦巻く後宮など知らず、アロスは皆に挨拶をしてユリと歩いた。
ユリの部屋で、人形遊びをしたり、菓子を摘んだり、ユリの国の話を聴く毎日が始まった。トシェリーが不在の時のみなので、短時間ではあったが、アロスは後宮へ出入りすることが楽しかった。
この場所が何かなど、アロスは知らない。ただ、優しい女性達が住まう場所なのだと。
それだけ、思った。やがて、ユリの部屋へ行く途中にも、女達から菓子を貰った。「御機嫌よう、アロス様」と、声も掛けて貰えた。アロスは、大好きなトシェリーと居られない時にも、たくさんの友達が出来たと、とても喜んだ。
流行の衣装も見せてもらった、ユリの話は楽しくて、アロスは夢中になる。
「ねぇ、あのお馬鹿ちゃん。何も疑わないのね」
「面白いわよねぇ、うふふ、どうやって虐めようかしらね」
最初から突き放すよりも、懐いてからのほうが精神的に傷が深くなる。女達は、アロスを”お馬鹿ちゃん”と呼び、失脚させる日を、待ち望んだ。手を振り、頭を撫で、にこやかに微笑みながら内心嘲笑する。
たった一人の、小さな生贄。
ガーリアはそんな女達の様子を眉を顰めて見つめていた、あまりにも辛辣だと。なんと醜悪な女達の性質だろうか、眩暈がした。トシェリーに忠告してみるべきか、アロスに直接言うべきか。
思案していたが、お付の女中に制された。関われば、こちらにも被害が及ぶ、と。
ガーリアは、女中の必死の訴えに折れた。ガーリアと共に、渦中に立たされることが嫌なのだろう。
後宮内でアロスの姿を見つめれば、後ろめたさを隠すようにガーリアは逃げるように身を翻した。
「アロス? 最近楽しそうだな。オレが居ない間は何をしているんだ?」
寝所で、アロスが何かを思い出し微笑んでいた姿を見たトシェリーは、不思議そうに訊ねた。まさか、後宮に出入りし、女達と仲良くしているなどとは知らない。まして、思わない。
アロスは、身振り手振りで説明しようとしたのだが解るわけもない。
苦笑してトシェリーは唇を塞ぐ。
「何が楽しいのか知らないが……オレと居る時よりも楽しいのか?」
言われて猛烈にアロスは首を横に振る、全力で否定した。ぎゅう、とそのまま抱きついて違う、違うと訴えるアロスに安堵したトシェリーは、静かに抱き締める。
「なら良い。今、全力で医者を捜しているからな。声が出るようになったら必ず最初にオレの名を呼べよ、それから愛していると言えば良い。楽しみだろ?」
全身に愛おしく口付けながら、囁くトシェリーにアロスは頷く。今宵もまた、2人は肌を重ねた。それが、必然だった。心地良かった。
「だがな、アロス。あまりオレ以外に興味を持って欲しくはない……」
疲れて眠りに入ったアロスの耳元で、トシェリーはそう囁く。小さく寝息を立てて、しがみ付いて眠っているアロスに口付けながら、何度も何度も、トシェリーはその台詞を囁いた。
眉を潜めて、困惑気味に囁いた。本音を、曝け出す。
髪に指を通しながら、強く抱き締めてトシェリーも眠りに就いた。身体が小刻みに震えていることに、気がつかず。
ある日、アロスはユリの室内で大きく腕をばたつかせた。ユリの衣服を引っ張り、必死に何か訴える。
「な、何? どうしたの? ……え? ペン? ……あぁ、羊紙? 手紙? 手紙が書きたいのね?」
アロスの視線を追って、ユリがたどたどしく口を開く。
ぱぁ、と零れるような笑みで笑うとユリに抱きつくアロス。解ってもらえて嬉しかったのだ。
流石は、友達だとアロスは思った。その場で飛び跳ねる。
「あ、ちょ、ちょっとアロスちゃん。う、うふふ、もう、そんなに喜んで。私達、友達……いえ、親友でしょ? 言いたいことくらい解るよ」
苦笑してそう言ったユリに、思わずアロスは瞳を潤ませた。親友。なんという響きだろう。
初めて言われ、その場で震えると涙を溢す。慌ててユリが、頬を伝う涙を手持ちの布で拭った。
「もう、大袈裟ねアロスちゃん。泣かなくてもいいのに。ねぇ、私達、親友でしょ?」
大きく頷いたアロスに、ユリは笑った。ちょん、と鼻先を指で突く。
「ふふ、よかったぁ、同じ思いで! さぁ、親友のアロスちゃん。お手紙書きたいんでしょ? トシェリー様に書くの?」
アロスを椅子に座らせて、ペンと紙を用意したユリは、アロスの顔を覗きこむ。
恥ずかしそうに俯いたアロスに、ユリは微笑した。
「トシェリー様が、アロスちゃんは大好きなんだね。解るよ、だって親友だもの」
アロスがペンを手にする。そうして、ゆっくりと書き始めた。
ユリは「飲み物を持ってくるね」とだけ告げると、室内の出入り口に向かう為、身体を反転させた。
舌打ちして、憎らしげにアロスを小さく振り返るとそのまま出て行く。
「……何が親友よ、馬鹿らしい。あの子と遊ぶの、疲れるわぁ~……。ホント、お馬鹿ちゃん」
「なら、やめたら良いのに」
突然声をかけられ、心臓が飛び出る勢いで振り返ったユリの形相は悪魔のようだった。
立っていたのは、ガーリアだ。涼しげな瞳で、真正面からそれだけ言うと、そのまま脇を擦り抜けて立ち去る。
「そう仰るのなら、貴女様も見て見ぬ振りは止したらどうですか? 同じ穴のムジナですよ」
語尾の口調を強めてユリがそう発言したのを、自嘲気味に笑って受け流す。言われなくても、解っているとでも言うように。
再び舌打ちすると、ユリは忌々しそうに壁を蹴り上げた。何度も、蹴り上げた。呼吸が乱れて、髪が振り乱れても、全てが気に入らなくて蹴り上げた。
微塵も疑わないアロスも憎い、唐突に責めるような瞳で見ていたガーリアに口を出されたことも憎い、自分だけが必死にアロスの世話をして、周囲の女達が頑張って、とお気楽に言っているのも憎い。
何もかもが、気に入らない。何故、こんなに自分だけが必死にならなければいけないのか。
大きく肩で息をして、ユリは自分の腕に爪を立てると飲み物を運んだ。足取りが重いが、行くしかない。
アロスは懸命に手紙を書き綴っていた、ことん、とコップを置いたユリは、何を書いているのか覗こうとする。
と。
「大変! トシェリー様がアロスを捜しているわよ! 帰さないと」
見知った女が部屋に転がり込んでくる。ユリは思わず手紙をアロスから奪い取ると、机の引き出しにそれを隠した。
「急いで、アロスちゃん。お手紙、まだ見られたくないでしょ? 途中でしょ? また書けば良いもの、さぁ急いで!」
ユリに引き摺られるように、アロスはそのまま部屋を出た。
女達に見送られて、アロスは懸命にトシェリーの許へと走る。夢中で手紙を書いていたので、時間が過ぎるのが早かったのだ。
息を切らせて戻ってきたアロスに、怪訝にトシェリーは眉を顰めた。
「アロス。オレが戻る前に、お前は部屋に居ろ。オレを待たせるな」
多少怒気を含んだような声に、思わずアロスは姿勢を正すと申し訳なさそうに瞳を伏せる。深く頭を下げると、ぎゅっと衣服を掴んで震える。
その様子に、可哀想になった。そこまで怒ったつもりはないのだが、呆れたように溜息を吐いたトシェリーは、頭をかきながらアロスを引き寄せた。そのまま口づける。
「全く、このおてんばめ」
声が出たらば、アロスは「ごめんなさい」と告げただろう。唇はそう、動いていた。
翌日、ユリに連れられてアロスは厨房に居た。
「アロスちゃんのことなら、なんでも解るわ。私達、親友だもの。ねぇ、トシェリー様を喜ばせたいでしょう? お菓子、作ってみない? ほら、材料は用意したわ! 昨日のお手紙と、お菓子をお渡しするのよ。きっと喜んでくださるわ。アロスちゃんが喜ぶと、私も嬉しくて。ねぇ、どう?」
そう言うユリに、アロスは涙を浮かべる。鼻をすすって、顔を赤らめると抱きついた。
「あ、あらら、アロスちゃんったら! また泣いてるの? さぁ、早く作ろう?」
昨日、トシェリーに起こられたアロスはこれで少しでも償いが出来ればと意気込んだ。菓子など作ったことがないが、ユリも手伝ってくれたし、経験ある後宮の女達も数人来てくれた。
アロスは感謝で胸が一杯になり、一人一人の手をとって握り締めて微笑む。
女達は徐に微笑み返したが、調理を始めたアロスに冷ややかな視線を送った。
汚らわしいものでも触ったかのように、手を拭う女達。くすくすと、中傷を囁きあいながら菓子を作るアロスを後方から眺めていた。計画は、大詰めだった。ついに、女達が一斉に手を組んで攻撃を密かに開始したのだ。
菓子を焼き上げたアロスに、1人の女が香水を振る。「流行の香りよ」と説明したが、それは貴族の男達が好んで使う香りだ。アロスは、嬉しそうに頭を下げた。女はけたけたと内心笑い続ける。
「アロスちゃん、お手紙を私取って来るからね。お菓子持って先に行ったら?」
ユリと歩きながらそう振られて、アロスは首を横に振った。手紙は、途中だったのだ。まだ、書き足りなかった。
だが、そこへ。
「またトシェリー様がアロスを捜しているわ! 早く!」
「た、大変! アロスちゃん、とりあえず手紙は後日にしてお菓子を」
慌てふためきながら走ってきた女に、2人も右往左往する。我に返ったユリに引き摺られて、アロスは菓子を手にしたまま、走った。
また、遅れてしまったらしい。今日も、怒られる。約束をしたばかりなのに。
アロスは焦る気持ちを抑えて、必死に走った。早く駆けつけようと、懸命に走った。いつしか、先を走っていたユリを追い越して引き摺りながらも、走った。
トシェリーが、立っていた。周囲には、女達が集まっていた。
注がれた視線に、違和感を感じたアロスだが、ユリが手を放し、1人で歩き出す。
強張った表情のトシェリーに、瞳を伏せながらアロスは恐々と菓子を差し出した。
やはり、怒っているのだろう、昨日の言いつけを守ることが出来なかったから。
震えるアロスの手から、菓子を受け取ったトシェリーは、紙に包んであった中身を取り出す。
「……菓子を焼いていたのか?」
小さく頷いたアロスに、小さく溜息を溢したトシェリーは、しげしげとそれを見つめると菓子を摘む。口を開いて菓子を放り込もうとした時だった。
「トシェリー様、なりません! その菓子には毒が盛られておりますっ」
アロスの後方から、先程一緒に菓子を作っていた女達が怒涛の勢いで走ってきた。アロスを擦り抜けて、トシェリーから菓子を奪い取ると、それを床に捨てて足で踏み潰す。
唖然と見ていたアロスを、憎らしげに見つめた女達。その視線に喉の奥で悲鳴を上げたアロスは、一歩後退した。見れば、周囲の女達もが、同じ目で見ていた。
何事かと、震えるアロス。後宮で、和やかに微笑みを交わした女達の瞳が、鋭く、痛い。胸を刺されるような痛みだった。
「見てください、調理場を覗きましたらば猛毒の実の欠片が落ちていたのです! まさかとは思いましたが……」
「知らずに使ったのだろう」
捲くし立てる女に、怪訝な瞳を投げかけたトシェリーだが、女達は引かない。皆、口裏をあわせているので怖いものなど何もなかった。
「いいえ! トシェリー様とてご存知では? この子は植物が好きなようですし、最近庭をうろついていると思ったらこれを探していたのですわ。立派な殺意です」
「どうしてオレが殺意を抱かれなければならん」
眉間に指をあてて、瞳を細めたトシェリーに女は大きく息を飲み込んだ。萎縮した女に代わって、他の女が前に出る。
「男ですわ」
「は?」
「ほら、トシェリー様。この子の身体には男の香りが……」
先程、アロスに振りかけられた”貴族の男が使用する”香水の香りを、トシェリーとて確認する。自分の香りではない、そして、女達も使わない。
狼狽しているアロスの目の前で、トシェリーの瞳が釣り上がった。口角が引き攣り、目が血走る。
白々しく知らない素振りをしているようなアロスに見えたトシェリーは、軽く笑った。そういえば、息を切らせて走ってきたこともあった。他の男と密会でもしていたのだろうか。
部屋で楽しそうに微笑んでいる回数が多くなった、それは男を思ってのことか。
と、考え出したらキリがない。全てのことが、見知らぬ男に繋がる。
必死で否定したのは、真実を突きつけられなんとか許してもらおうとしたからなのか。
トシェリーは、低く笑った。笑いながらアロスに近づくと、細い首に手をかけ、爆笑する。
青褪めた顔で突っ立っていたアロスの首にかけられたトシェリーの手は、酷く冷たかった。背筋が凍りそうなほど、冷たかった。
「成程、狡猾な女だ。あれほど……オレが……っ!」
そのまま、身体を持ち上げる。アロスの身体が浮き上がった、首が絞まり、口から泡を吐き天井を見上げたアロス。女達がその様子に小さく悲鳴を上げる。
「この……阿婆擦れがっ! お前は、お前はっ!」
苦しくて、アロスは手をトシェリーの腕に伸ばそうとした、が、届かない。力が入らず、手が動かない。意識が遠退いた、視界が消えていく。
「このオレをコケにしやがってっ! 大金叩いて買ってやった恩が、これかっ! どの男だ!? 間男は何処にいるっ」
アロスは、そのまま地面に叩きつけられた。放り出されたのだ、床に転がり痙攣する。悲鳴を上げる女達を気にせず、血走った瞳でトシェリーはうつ伏せのアロスの背に思いきり足を踏み下ろす。
鈍い音が、響いた。骨が折れたのだろう、アロスの身体が海老反りになる。
何度も、トシェリーは足を踏み下ろした、そのたびにアロスの身体は跳ね上がった。
「お前は、お前はっ!」
アロスは、声が出なかった。声が出せていたら、それが偽りであると伝えることが出来た。だが、声が出ない。
そして、女達は皆結託している。誰も、異を唱えるものなどいなかった。
アロスは、何故こんな目に合っているのか解らず、身に覚えのない言われに困惑する。
それでも、望みがあった。親友の、ユリがいる。彼女がきっと真実を伝えてくれるはずだと、アロスは無意識でユリを探すように手を伸ばす。
だが、ユリは何も言わなかった。救いの手を、差し伸べることはなかった。
笑いを必死に堪えているミルアの後方で、ただ、静かに。無表情で暴行されているアロスを見ていた。
「誰か! 誰か、この阿婆擦れの間男を知っている者はいないのか!」
絶叫するトシェリーに、何事かと駆けつけた家臣達は目を疑った。血を吐いて蹲っているアロスと、狂気の沙汰で暴行を加え続ける若き国王に、何が起きたのか意味が解らず混乱する。
女達は舌打ちした、後宮の女達しか、口裏を合わせていないのだ。長引けば、アロスの潔白が証明されてしまう。
ミルアは焦りながらも何処か冷静に脳内で、糸口を探した。
「こ、国王よ。一体何が……」
「貴様かっ! 貴様が」
声をかけた男に、食い入るトシェリーだが、ユリが飛び出す。そして土下座した。
「トシェリー様、ご報告が遅れてしまって、申し訳ありません。私は見ました、外から来る、男で御座いました。見間違いかと思ったのですが……」
「外から、だと!? 貴族の男が何ゆえ外から来るんだ!?」
「私も見てしまいましたわ、ユリの言う通りで御座います。トシェリー様がその娘を買い取ったことは、評判のようで、一目見ようと興味本位でやってきた男だと思われます。ですが、私が見ただけでも3人ほど……」
「ま、間男は一人ではないと言うのかっ。……この、汚らわしい雌豚がっ」
しおらしく寄り添って囁いたミルア。女達が一斉に顰めく、私も見たわ、と。
まさか、アロスが嵌められているなどとは思わないトシェリーは、演技する女達の手中に入った。
アロスを信じられなかった、少しでも疑えば、それは増幅していく。
男達は状況が把握できずに、ただ、立ち尽くすだけだった。ただ、無残な姿で転がっているアロスが気がかりで視線を何度も送る。
気がすまないらしく、トシェリーはアロスの髪を掴んで持ち上げると何度も頬を殴打した。床に何かが音を立てて転がったが、それは歯だ。頬は紫に腫れ上がり、美しかった顔立ちは今は化物のごとく。
腹を蹴り上げた、何度も蹴り上げた。身体中に痣が出来た。
気味が悪い、と女達は視線を逸らしては衣服の袖に隠れて笑った。
「この場で首を刎ね様か! ……いや、流刑するか。生き地獄を味わうがいい!」
絶叫し、床に投げ捨てたアロスの右手首を踏みつける。鈍い音がした、また骨が折れたのか、砕けたのか。
声が出ないので、悲鳴を上げることもなかったアロスの痛みなど誰も解らない。
唾を吐き捨て、立ち去ったトシェリーを慰めようと、ここぞとばかりに女達が群がった。
指示でアロスの身体が囚人を収容する極寒の地へ運ばれることになったが、その様子をユリは見ていた。
「さようなら、お馬鹿ちゃん」そう、唇を動かす。
痛みで気を失っていたアロスは、それでも涙を流した。
親友のユリは何処へ消えたのか、優しかった綺麗な女達は何故突然嘘を言い始めたのか、そして愛しいトシェリーは。
起きては痛みで気を失い、虚ろな瞳で身体を引き攣らせては血を吐いた。
運ばれる馬車には屋根などなく、ただ、雪が降りしきる中荷台に乗せられて運ばれた。身体中は凍傷し、指先は壊死した。
腹部に激痛が走った、悶えたくとも、身体中が痛くてただ、微かに動くばかり。
「おい、様子がおかしくないか?」
「まぁ死んでもどうってことないだろう。国王殺害を企てた奴らしいからな」
「こんなに小さいのに? くわばらくわばら。……一応記載しておくか、容態は……ん?」
「たまげたな! 流産だ」
「清純を装って国王に取り入った阿婆擦れらしいぞ、王族に不埒な態度をとっても極刑に出来るらしいし。父親もそうなると誰だか解らんな。……だがまてよ、父親が国王の可能性もないか?」
「だなぁ、まぁ、こんな犯罪者の女から産まれた子では国王とて喜ばないだろうよ。”囚人アロス:流産”と。やれやれ、面倒だなぁ、死んだらその辺りに捨て置けばよいかねぇ、死刑にしてくれればよかったのに」
運が良いのか、悪いのか。アロスは息絶えることなく流刑所に到着した。
その頃、血眼でアロスを捜していたトリフとベイリフが合流し、共にブルーケレン領に入っていた。
2人とも、不可解な事態に気がついたので、必然で出逢ったのだ。
行く先で、突然火事を起こし全焼している酒場や宿があった。それは点々と時期がずれて続いていた。
何処かへ向かうように、追い続ければ港町である。
不審に思い調べていたトリフと、同じく調べていたベイリフは港町で遭遇する。互いに面識はあったので、経緯を話した。
アロスに気に入られたほうが、夫になる権利を得られる……。
資金が底を尽きそうだったトリフは、断腸の思いでベイリフと行動を共にすることにしたのだ。金がなくては、渡航出来ない。ベイリフの有り余る金で優雅に新たな大陸に来た2人は、ここでようやく糸口を掴んだ。
ブルーケレンの国王が、それは可憐な美少女を后にしようとしている、という噂である。
新緑のような髪に、神秘的な光を宿す深緑の瞳。アロス以外に有り得ないと2人はブルーケレンを目指したのである。
道中で、トリフは人々の視線が気になった。ベイリフも数奇な瞳で見てくる人々に眉を寄せた。
何かと訊ねてみれば、トリフが現国王に似ている、というのだ。
噂では、国王には双子の弟がいたが、縁起が悪いとのことで弟は殺されたと。
ベイリフは嘲笑した、肩を叩きながらトリフに囁く。「成程、貴殿は王族か」
トリフは興味ないとばかりに、先を急いだ。だが、なんとなく気付いてはいた。ブルーケレンが近づくにつれ、自分の首にかかっているペンダントの紋章をよく見かけていると。生まれたときに首に下げていたらしい、それ。
間違いなく、自分はその捨てられた双子の弟だと、トリフは直感した。
アロスを手中にしているのは、つまり自分の双子の兄ということになる。
皮肉な運命に、トリフは自嘲気味に笑った。
まさか、アロスが死の淵にいるとはまだ、思わずに。
PR
この記事にコメントする
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
最新コメント
[10/05 たまこ]
[08/11 たまこ]
[08/11 たまこ]
[05/06 たまこ]
[01/24 たまこ]
[01/07 たまこ]
[12/26 たまこ]
[11/19 たまこ]
[08/18 たまこ]
[07/22 たまこ]
カテゴリー
フリーエリア
フリーエリア
リンク
最新トラックバック
プロフィール
HN:
把 多摩子
性別:
女性
ブログ内検索
カウンター