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不穏な空気が少し、晴れた。
取り残された人間の少年達は、互いに顔を見合わせトカミエルを最終的に視線を投げかける。
多勢で攻撃をするのは、男より女の方だ。
やりすぎじゃないか、とアニスを気の毒に思っていた少年も居たほどだったが、見ていただけで仲裁に入ることはなかった。
典型的な『いじめ』である。
潜めき合いながら、少年達はぐったりと今にも崩れ落ちそうな目の前の哀れな妖精を見た。
そんな中、ゆっくり、一歩、また一歩、トカミエルは涙を零し続けるアニスに近寄った。
しゃがみ込んで、トカミエルはそっとアニスの頬に手を伸ばすと、その涙を拭う。
恐怖で、痛みで感覚が麻痺していたアニスだったが、トカミエルを見つめ微かに笑みを零した。
目の前に、待ちわびた人間。
先程の痛みが消えていく。
叩かれた頬、引っ張られた髪と羽、そして囲まれる恐怖、罵声を浴びせられる際の憎悪に満ちた表情、身体と心に冷たく突き刺さった破片が、ゆっくりと抜け落ちていった。
「指輪、拾ってくれたんだよね」
その言葉に、アニスは弾かれたように大きく頷いた。
トカミエルが手を伸ばし、アニスを優しく抱き起こす。
解かって貰えた、トカミエルは、自分を解かってくれた!
アニスはそっと、トカミエルの指へと戻った輝く指輪を、躊躇いがちに優しく撫でる。
愛しそうに微笑みながら、満足そうに頷いてトカミエルに健気に笑った。
それを見て、トカミエルはアニスが人間の言葉を理解していることに気づく。
「・・・ありがとう」
トカミエルは耳元で小声で囁くと、躊躇う事無く一気に引き寄せてアニスを腕で包み込んだ。
驚いて身体を仰け反らせたアニスだったが、顔を赤らめて、トカミエルを見上げる。
腕の中で、満身創痍でそれでも嬉しそうにゆっくりと微笑んだアニス。
解かって、貰えた、トカミエルは、解かってくれた、お礼を言われた。
穏やかに、至福の笑みを浮かべるアニスに、トカミエルの胸が高鳴る。
トカミエルは、腕の中のアニスをそっと、抱き締める。
震えているのは、アニスか、トカミエルか。
早なるこの胸の鼓動はどちらのものか。
徐々に、強く、体温を感じて、お互いの存在を確認するかのように、きつく、硬く寄り添う。
「えーと、トカミエル?」
少年の一人が、遠慮がちにトカミエルに声をかけた。
二人の表情が、再会出来た恋人達のように恍惚めいていたものだから、声をかけるのを躊躇っていたのだ。
「何?」
「その妖精、どうするの?」
「家に持って帰る。オレが飼う」
その場にいた全員が一斉に素っ頓狂な声を上げて、近寄る。
口々に諦めろ、無理だ、何考えてる、否定した。
「気に入った、人間の言葉は解かるみたいだし。大人しいし、可愛いし。何が何でも持って帰って、部屋で飼う」
アニスの髪を撫でながら、トカミエルは子供のように手に入れた新しい玩具で遊ぶかのように、楽しそうに語る。
「どうやって!? オルビス達が大人呼びに行ったじゃないか、無理だよ」
「飼うには大きすぎるよ、人間の女の子と大差ないよ」
トカミエルの腕の中のアニスをしげしげと見つめる少年達。
良く見れば、少女達に引っ張られた衣服は所々破れ、アニスの肌を露出させている。
初々しい、少女の艶めく肌。
少年達は顔を赤らめると思わず気まずそうに視線を逸らした。
「か、可愛いけど、人間じゃないだろ」
「この子を隠しておいて、逃げられたと説明して。後でこっそり取りに戻って、部屋に連れ帰る。マントを羽織らせて羽を隠す」
「いやー・・・ちょっと落ち着けよ」
アニスに触れようと手を伸ばした少年の一人を、トカミエルは触るなっ、と威嚇し、手を払い除ける。
再度静まり返る少年達。
知らずトカミエルの腕の力が強まり、アニスは軽く苦しそうに身じろいだ。
「な、何だよ。そんなに怒らなくてもいいだろ。それに妖精、苦しそうだ」
「煩い、これはオレのだ! 勝手に触るな、見るなっ」
「トカミエル、落ち着けって」
・・・何がどうしたというのだろう。
明らかにトカミエルの様子が妙なことに少年達は気がついた。
誰からも見えないように、必死でアニスを覆い隠し、少年達から後退して行く。
敵意を剥き出しにし、仲間である友人達を威嚇しながら、トカミエルは強過ぎる程にアニスを抱き締める。
潰れてしまう位に、強く。
「これはオレのだっ! 絶対にオレのだっ! 誰も触るな、誰も見るな、オレからこれを持って行くなっ」
「わ、わかったよ、トカミエルの妖精だよ。だから落ち着けよ、見ないよ、触らないよ」
トカミエルの瞳が、尋常ではないことに、狂気に駆られた血走った瞳であることに、少年達は気がついた。
森中の木々が、大きく揺れる。
雲間から光が差し込み、パラパラと音を立てて小雨が降り、風が吹き抜けていく。
「狼さんー、熊さんー! 起きて起きて、アニスがアニスが人間に虐められてるよ! 助けてっ」
眠りに就いていた夜の動物達を叩き起こすリス。
老樹の元に集まった小動物たちは、互いに顔を見合わせると一斉に駆け出していった。
泣き喚く椋鳥を叱咤して、皆で一丸となって。
「僕のせいだ! アニスに酷いこと言ったから、アニスは一人で人間に会いにいっちゃったんだよ! どうしよう、どうしよう、アニス死んじゃうよ!」
「助けに行くんだ、まだ、間に合う! アニスは許してくれるから、助けに行こう!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
ウサギがリスが、アライグマがキツネがタヌキが。
鷹が鷲が山鳩が啄木鳥が椋鳥が。
一斉に飛び出していく、大事な妖精のアニスを助ける為だけに。
狼が熊が、猪が目覚め、高らかに咆哮した。
アニスが居なかったので、探しに出掛けた小鹿が見た光景は、人間の少女達に取り囲まれて怯えていたアニス。
慌てて森の奥へと戻って、応援を呼びに来たのだった。
森中の動物達が一丸となって、花畑へと向かう最中、老樹は一人静かに静かに、それを見つめる。
「・・・」
物言わずして、動物達を見つめていた。
あぁ、また、同じだ、と。
花畑の方向で光が、水が、風が揺らいだのを感じ、老樹は微かに未来を望む。
だが、それよりも、強く巨大な波動・老樹には見える。
森の、全ての命を育む地が苦しんでいるのは、灼熱の業火を間近に感じているから。
老樹は、儚く笑う。
寿命は迫ってきていた、最期の、最期の力を掻き集めて、信頼できる者へと託さねば。
身体から、静かに湧き上がる青白い発光体は、か細くゆっくりと天へと昇る。
「あの子を、救いなされ。光と水と風の加護を受けし者」
人間の街へ、街の片隅へ、片隅に居る、三人へ。
老樹は懐かしい故郷を、懐かしい情景を、眼に焼きつかせた人物達を思い描いた。
黒に近い深緑の髪の冷徹な瞳の奥底に隠す、孤独と絶望の中誰よりも癒しを求めた光を。
紫銀の髪の頑固なまでに想いを貫き通す、唯一人の為だけに産まれ生き、護り抜くことを決意した水を。
黒髪の幼さの残る、誰よりも彼女を理解し共に笑い悲しみ泣き、時折叱咤することが出来る風を。
発光体は、消え入りそうなまま、ゆっくりゆっくり天へと昇る。
少年の一人が、足に痛みを感じ、悲鳴を上げた。
気づけば、周りは小動物達に囲まれ、奇声を上げながら鋭利な歯で噛み付こうとしているではないか。
赤く光る無数の瞳に、身体は小さくとも数の多さで威圧感を与える。
「う、うわぁっ!」
一匹のウサギが少年の手に高々とジャンプして歯を突き立てる。
「アニス、逃げて! 飛ぶんだアニス!」
小動物達が口々にアニスの名を呼んだ。
呼吸出来ないほど押し潰されていたアニス、苦し紛れに身じろぐ度に、声が聞こえる。
動物達の声が聞こえる、逃げろ、逃げろ、と。
微かに呼吸をしながら、朦朧とする意識の中、トカミエルを見つめる。
自分を決して離さないトカミエル、あのオルビスのように、こうして身体を寄り添っているけれど。
「なんだ、コイツら」
トカミエルは忌々しそうに舌打ちすると、手頃な石を拾い上げ素早く石を投げつける。
グシャリ。
何かが、柔らかな何かが潰れた音。
片方の腕がはずされ、アニスは必死でトカミエルの腕の中から、今の状態を見る為に瞳を外へと移した。
「え?」
目の前で、リスが。
常に一緒に居たリスが、投げつけられた石に激突して、跳ね飛ばされて地面に落下していた。
ウサギが。
耳を掴まれ振り回され、遠くへ遠くへ、投げ飛ばされた。
アライグマが。
人間の手にしていたナイフで耳を、尻尾を、背中を切りつけられ、倒れ込んだ。
気がつけば、花畑は血塗られた場景へと変貌している。
無数の小さな動物達の死骸、まだ息のある者もいるが、人間達に無残にも足で踏み潰されていく。
「や・・・やめてぇ!!」
無我夢中でアニスはトカミエルの腕から抜け出そうともがいた。
「アニス、飛ぶんだ! アニス!」
「トカミエル、やめて、やめさせて! 私の大事な友達なの、みんな友達なの! お願い、酷いことしないで!」
「アニス、人間に声は届かないからっ! 早く逃げて!」
トカミエルの足元までなんとか必死で駆け抜けてきたリスは、軽やかにアニスの身体をよじ登り、耳元でそう叫んだ。
「アニスっ! はや」
リスと目が合った瞬間、目の前からリスの姿が掻き消えた。
トカミエルの右手がリスを叩いたのだ。
地面に打ち付けられ、身体を必死で起こそうとするリスを、容赦なくトカミエルは踏み潰す。
小さな断末魔が、胸を引き裂く声となってアニスを襲う。
「トカミエル、トカミエル! お願い、やめて!」
止めなければ、双方を止めなければ!
アニスは強く抱き締められた腕の中で、身体を揺さぶり、トカミエルをこちらに向かせようと、注意を引こうともがく。
ゆっくり、静かに、トカミエルは腕の中のアニスを愛しそうに見つめると、何か叫んでいるらしいその唇に、指を這わせ、無邪気に笑った。
「何言っているのか、分からないよ」
顎を軽く持ち上げてそのまま、アニスの唇を自身の唇で塞いだ。
何度も何度も、強く激しく、夢中で貪る様に、口付けを。
―――可愛い愛しい小鳥を手に入れた、腕という名の篭に閉じ込めた
その頃、トカミエルは友人達と森へと向かっていた。
というのも、オルビスが川へ行くまでは確かに指輪があった、と発言したからだ。
手を繋いでいたので、感覚で分かったのだろう。
実際途中で指輪を眺めてもいる。
ただ、川から街までの岐路は手を繋いでいなかったのであったかどうかが分からない。
しかし、トカミエルの自宅にはない為、落としたとしたらやはり川か。
川で水遊び中に落としたとすると、見つかる可能性は無きにしも非ず、である。
川は絶えず流れ続ける。
小さな指輪を、誰が捜し出せるだろう。
それでも、トカミエルは捜し出さなければいけなかった。
両親から手渡された、特注の指輪、受け取ったときの興奮を忘れられない。
それをほんの数日で失くしてしまっては両親にも顔が立たない。
大きな足取りで、眉を吊り上げながら駆け足気味で森へと進んだ。
森に入り、川を目指す途中で、あの花畑を通りかかる。
「あ・・・」
人間の気配に、目覚めてからも会話の練習をしていたアニスは、そっと物陰から顔を出す。
指輪を握り締めて、震える足を必死で押さえて。
大丈夫、上手くやれる。
そうしたら、森の動物達も呼んで、みんなで遊ぼう。
必ず、受け入れて貰える、人間達は優しいし、寛大だし。
「・・・ねぇ、あれ、誰かしら?」
アニスに、オルビスが気がついた。
前方を早足で歩くトカミエルの服を引っ張り、怪訝に声を潜めて囁く。
指輪で頭が一杯でそれどころではないトカミエルは、半ば興味なさそうにそちらを見る。
豊かに波打つ木々の葉に遮られて太陽の光を通さない暗い森の中、一人の少女がこちらを見ていることに気がついた。
その光景に、トカミエルは眩暈を覚え、身体を、脳を駆け巡った不思議な感覚に思わず胸を苦しそうに掴む。
こちらを、見つめている少女。
二人の瞳が交差し、トカミエルは思わず名を呼ぼうとした。
そう、名を。
何故かしらその少女の名を知っている気がして、口を開いたのだが。
キィィィ、カトン・・・。
何処かで古びた金属が、耳障りな音を立てて動いた音が聞こえる。
「ちょっと見てよ! あの女、背に羽がはえてるわっ」
「や、やだ、本当! 人間じゃないわ!」
オルビスを筆頭に次々に金きり声を上げる少女達。
その耳に痛い声にトカミエルは顔を顰めると、現実に引き戻される。
だが、視線はアニスを捕らえたまま離れない。
それは、神秘的な光景だった。
淡い光を放つ、自然の雄大さを思わせる緑の瞳、風に揺れて流れるように歌う森の木々たちのような髪、美しき乙女が幻想的に立っている。
だが、多感期の少女達にとって、自分達より美しい少女の出現、他を圧倒する存在感に恐怖と威圧感、そして嫉妬心を抱かせた。
不意にオルビスはトカミエルを見上げた。
あの、少女を見つめていた。
今まで、見た事のない表情だった。
見惚れて口元に笑みを浮かべて、一心不乱に少女だけを見つめ続けているトカミエル。
まるで、それは長年会えなかった恋人に出会えたかのような、そんな、ずっと待ち侘びていた懐かしさと嬉しさと愛しさとを持った、そんな・・・笑み。
オルビスの心に暗雲が立ち込め、焦燥、失望、絶望、そしてあの少女への嫉妬で覆い尽くされる。
黒い、暗い、感情。
トカミエルを一瞬にして虜にした、あの少女が・・・憎い。
人間は欲望が尽きず、愚劣な生き物でもあり。
時に心を闇に支配された場合の手段は選ばない。
このままではトカミエルを盗られ、自分が惨めになるだけだ。
ならば、回避しなければ。
元凶を潰さなければ。
・・・あの少女を、潰さなければ。
オルビスが何か言ったわけではないのだが、人間の少女達は、互いに気持ちが一つになったようで。
一つの気に食わない標的を、集団で覆い囲めば勝てる。
自分達より美しい、そして言い知れぬ威圧感を与えてくるあの少女を一刻も早く潰さなければ!
「魔女よ! 災いをもたらす森の魔女だわ!」
誰かがそう叫んだ。
それを筆頭に口々に「魔女!」と喚きだす人間の少女達。
アニスは身体を大きく震えさせると、魔女、という聞いたことがなかった単語に身体を小さくする。
正確な意味が分からなくとも、彼女達の嫌悪の表情、嘲り笑い、罵声を浴びせてくるすの姿で、悪い意味合いの単語であることが解かった。
何か、嫌われるようなことをしただろうか? やはり、この背中の羽のせいだろうか。
アニスは、一歩後ずさったが、手の中の指輪の存在に気づく。
そうだ、これを返さなければ。
アニスは深く深呼吸をすると、一歩、また一歩とゆっくり足を踏み出す。
光の下で、全てを曝け出す。
全てを魅了し、一瞬その場は静寂に包まれた。
が、光に出たことで、アニスにとってそれは裏目に出てしまった。
「あの服! 私のよ!?」
オルビスがわなわなと身体を震わせ、アニスの衣服を指すと同時に、他の少女達も「本当だわっ」と叫びだす。
少女達の暴走は止められない、相手は一人、こちらは数人、攻撃の隙さえ与えなければ、勝てる。
そう、アニスが着ている衣服は紛れもなくオルビスの物だったのだ。
上等な布なので滅多にない上、本人のお気に入りでオルビスはよくその衣服を身に纏って自慢していた。
衣服が盗まれた当時も、何度も何度も嘆きの言葉を皆に聞かせていたので、誰もが覚えている。
皮肉にもそれを鷹はアニスの為に、人間の街から盗んできていたのだ。
「この泥棒! 馬鹿みたい、全然似合ってないのに!」
似合っていないわけがなかった、サイズはともかく、オルビスよりも似合っていた。
少女達の攻撃の口は止まらない。
オルビスはトカミエルの正面に立ち、アニスとの視線を遮ると猫撫で声でトカミエルにそっと抱きつく。
「トカミエルだって、知ってるでしょう? あの服私のなの。酷いよね」
殺気立った雰囲気にアニスは尻込みした、が、やるべきことがある。
恐怖を痛感し、足を震わせても、この指輪をトカミエルに返さなければ。
その想いは、恐怖に打ち勝った。
指輪を返す、練習通りに返すだけ。
「あの、この指輪を昨日拾ったので。返しに、来たんです」
震える声でそう告げた。
きっと誤解はとけて、トカミエルが笑顔で近寄ってくるはずだ。
「指輪を、指輪を」
その様子を人間達は訝しげに息を潜めて見下している。
何も言ってくれない人間に、アニスは焦って近寄りだした。
人間達が自分から離れていく様子に、怯えながら辛くなりながらも、真っ直ぐにトカミエルの元へと。
「返しに、来たんです」
一生懸命そう言い続け、進んだ。
トカミエルの前に両腕を広げて、自分を睨み付けているオルビスとの距離が近くなる。
掌を広げ、何かが掌に乗っているのをようやく確認したオルビス。
光る指輪。
頭に血が上る、トカミエルの指輪を持っている。
「サイテーっ! これ、トカミエルの指輪よ! あんたが盗んだのね!?」
「えぇ!? 違います、川に落ちていたから拾って、返しに来ただけでっ」
オルビスの言葉に焦ったアニスは、オルビスに必死に縋り付いた。
が、間近でアニスを見、眩い美しさと幻想的な雰囲気のアニスに、反射的に恐怖で右手が飛び出す。
パンッ!
乾いた音が響き渡った。
アニスの頬をオルビスが平手打ちしたのだ。
身構えていなかったアニスは、その衝撃で地面に倒れ込んだ。
腫れて赤くなった頬、痺れる初めての感覚にアニスは呆然と目の前に立ちはだかるオルビスを見上げる。
「ち、違います、盗んでないんです。拾ったんですっ」
うっすらと瞳に涙が浮かび上がる。
何故、信じてくれない? 何故、声を聞いてくれない?
頬を叩かれた衝撃で、手の中の指輪が一輪の花の上に落ちた。
オルビスはそれを拾い上げると、自分の衣服で綺麗に磨いてからトカミエルの指にはめる。
指輪は、トカミエルの元へと無事戻った。
倒れこんだまま、震えるアニスを見下ろしていた少女達の心に再度嫉妬の炎が上がる。
まるで悲劇のヒロインを演じているかのようなその状況、少女達はアニスに詰め寄る。
目に入ったのは花冠だった。
「何よ、その貧乏くさい冠! 馬鹿じゃないの!」
「きゃあ! やめて!」
オルビスは嫌がるアニスからその髪ごと花冠を捥ぎ取ると、一気にそれを引き裂いて、傍らに投げ捨てた。
小さな悲鳴を上げて、アニスは無残に打ち捨てられた花冠に必死に手を伸ばす。
髪が引き抜かれた痛みではなくて、宝物が破壊された、胸の苦しみ。
涙が止まらなかった、大事にしていた花冠が引き裂かれた瞬間が、瞼に焼き付いて離れない。
花冠は、花冠でなくなった。
だたの、引き抜かれたシロツメクサの残骸。
「こ、この花冠は、あなたがトカミエルに頼んで作って貰ったものですっ」
溢れる涙を零しながら、オルビスを見上げて必死に訴える。
その視線に唇を噛み締め、オルビスは反射的にアニスを再び平手打ちした。
「何なのよ、その目は! 私を誰だと思ってるの!?」
オルビスの大声に、アニスは瞳を硬く閉じ、必死に痛みを堪える。
聞いてくれない、声を聞いてくれない。
「その服、返してよ! 全然似合わないし、あんたが着られるような服じゃないのよ! 私のよ!」
「何よこの羽、気味が悪い!」
アニスが微力ながらの抵抗しか出来ないと知った途端、オルビスを筆頭に少女達は寄ってたかってアニスを取り囲むと、衣服を、羽を引っ張る。
「み、見て! この女が腕に巻いてる布って!」
「トリアの!? これトリアのだわ!」
「あんた、これも盗んだの!?」
そういえば最近違う布を額に巻いてた! 少女達は更に拍車をかけてアニスに暴行を加える。
トカミエルの指輪、トリアの布、オルビスの衣服。
人間の街で、人々に絶大な人気と支持を誇る三人の持ち物を、持つアニス。
オルビスはともかくとして、トカミエルとトリアは少女達の羨望の相手でもあり、彼らの持ち物を持てるということはとても自慢できることだった。
誰も成し得なかったことを、この女はやってのけたのだ。
トリアがお守り代わりにと置いていった布は、正反対の意味を持ってしまったのだ。
「痛い、痛いよ!」
「何よ、さっきから口を動かして! 言いたいことがあるなら喋りなさいよ、気持ち悪いっ」
ようやくここでアニスは気がついた。
・・・人間に、自分の声が聞こえていないのだということに。
思えば、トリアと会話した記憶がなかった。
人間の声は聞こえていたから、理解できたから、自分の声も届くのだと、そう思っていた。
人間には、動物の声は聞こえない。
それすら、アニスは知らなかった。
人間には、森の木々や花の言葉も聞こえない。
それも、アニスは知らないことだった。
容姿は人間に近くとも、自然界にその存在を置く妖精。
・・・人間には、声が届かない。
愕然。
トカミエルにも、自分の声が届かない。
違った、羽がある・ないの問題ではなかった。
妖精の声は人間に届かない。
アニスの声は、トカミエルに届かない。
あんなに練習した言葉は、意味を成さない。
「トカミエル、大人を呼びましょ! こいつ、捕まえるのよ!」
オルビスがトカミエルの肩を揺さぶる。
聞いているのか、いないのか。
先程から微動だしていなかったトカミエルはようやく我に返った。
ずっと、アニスを目で追っていた。
少女達に暴行されている時も、目で追っていた。
アニスだけを。
アニスの表情だけを。
アニスの存在だけを。
アニスだけ切り取って、ずっと、そのまま。
「トカミエル!?」
「ん、あぁ・・・」
「話聞いてたの!? 大人を呼びに行くのよ」
「オルビス達が呼んで来いよ」
自分に目もくれず、トカミエルの視線の先には、アニス。
肩を揺さぶり続け、強引に頬に手を当てて、オルビスは必死に自分のほうを向かせた。
「い、いい加減にしてよ、こっちを見て! 一緒に大人を呼びに行くの!」
「逃げたら困るだろ? 見張っておくからオルビス達呼んで来いよ」
強い力でトカミエルはオルビスの手を振り払い、ようやくオルビスを一瞬だけ見た。
邪険に扱われた自分の手、オルビスは湧き上がった涙を必死に堪える。
「で、でも」
「いいから、もう行けよ」
怒気を含んだ冷たい声。
初めて聞くトカミエルの声に、その場が静まり返る。
平素の明るく愉快な声ではなく、冷淡で邪魔扱いした声だった。
オルビスは、ぎこちなく顔を引きつらせると、少女達を促し、そのまま、トカミエルの脇をすり抜けて街へと走る。
怖い、と思った。
あんなトカミエルを知らない。
・・・あの女のせいだ。
トカミエルとあの女を離したかったけれど、一緒に居させたくなかったけれど。
トカミエルが、怖い。
もし、無視してその場に留まろうものならば、トカミエルに蹴り倒されていた気さえしてくる。
あの女が、トカミエルの心を奪って、変えてしまったんだ。
緑の娘は願い事を間違えた。
当初の願いは『あの人と一緒に二人で幸せになるの』だった。
ところが耐え切れなくなった心が悲鳴を上げて、願い事を変えてしまったのだ。
変えた願いは成就された・・・と、緑の娘は思っている。
今でも、成就されたと、思っている。
『あなたが幸せなら、それでいいよ』
・
・
・
舌打ちして、女は畳に転がる。
この間買ってきた大量の好きなブランドの衣服が散乱し、雑誌が開かれたままソファに置かれ、明らかに片付けられていないその部屋。
再度舌打ちして、お気に入りのフレバーティを飲み干す為に、起き上がった。
「・・・何やってる」
声がした。
聞き慣れた声だった。
何か言おうと思ったが言葉が出てこない。
視線が宙を泳いで、ふと目に留まったのは。
この間買って、何時、誰と出掛けるときに着ようか、わくわくしながら魅入っていた衣服達。
おかしい、色褪せて見える。
今の私にこれらの服が似合うのだろーか・・・喉の奥で笑う。
「だから、何をやっている」
再度の問いに。
本当に何をやっているのだろう、と女は思った。
もしかして、ひょっとして、一番の問題は。
「緑の髪の娘は願い事を間違えたんだよ。変えなければ幸せになれたのに」
ぼそ、と呟いた。
あぁ、そうだ。
今分かった、もしかして、私が一番恐れていたのは。
「私も願い事を間違えたのかな。『二人で一緒に幸せになる』って言っていたのに。さっき、思って口にした。『あなたが幸せになれるのなら、私は必死で想いを殺す。大好きなあなたが苦しまない方法がそれならば、私は耐えるよ』・・・ねぇ。もしかして。このまま行くと、私は」
「お前はアサギじゃない。お前の彼氏はトランシスでもない」
「でも、何故か怖いくらいに恐ろしいくらいに一緒なの、出てくる言葉が二人とも一緒なんだけど、これはなんで?」
「似ているだけで、同じなだけで、違うから。重ねて不吉な未来へ持っていくな」
「一緒なんだってば!」
「目を覚ませって言ってるの!!」
親友の大声が聞こえたので、女はケータイを手から滑り落とす。
「アサギが失敗した理由を知っているのなら、変えればいいじゃん。同じことをしなきゃいい、思わなきゃいい。もっかい言うよ、『あんたはアサギじゃないし、彼氏はトランシスじゃない。だから、二人はあんな風に壊れない』。しっかりしなよ、何やってんの」
ずっと、ずっと、怖かったのは。
気がつけば緑の髪の娘と同じような台詞を恋人に言う自分と。
緑の髪の娘が愛していた男と同じような台詞を言う恋人が。
あんなふうに、小説の話なくせに、あんなふうになったらどうしようかと。
わけのわからない不安を芽生えさせてしまった、自分の心。
同じにしてはいけない、小説と同じにしてはいけない、あれは私が考えた話だ。
冗談じゃない。
「目が覚めた、多分」
「覚め切ってないだろうけど。今は寝たほうがいいよ。無理するな」
「らじゃ」
・・・。
私が、しっかりしなければ。
願い事をもう一度。
だから、みんな。
どうか、私があまりにも死にそうに見えたら。
蹴り飛ばすくらいのつもりで、近寄って欲しいのです。
目を覚まさなきゃ、また・・・。
「おのれー、このままだとまた体重が減る」
「ヤバイから、とりあえず、1:00までには寝なさい」
現在、0:12。
よし、お風呂に入ろう。
おやすみなさい。
神社へ行こう、行った神社へ行こう。
私は緑の髪の娘ではないので、願い事を変えない、絶対に、変えない。
※意味不明
20080122
「・・・ないっ!」
トカミエルの悲鳴が早朝響き渡った。
隣の部屋で身支度をしていたトリアは、怪訝に眉を潜めるが、無視して部屋を出る。
と、同じく部屋を飛び出してきたトカミエルに出くわした。
「トリアっ、オレの指輪見なかった!? ないんだよっ」
「知らない」
「一緒に捜せっ」
「嫌だ、オレは忙しい」
「だーっ、もうっ」
そんな双子の息子達に父親が下の階から呼ぶ。
二人の会話で起床したことを知ったようだった。
「二人とも、朝食だぞー。降りてきなさい」
トカミエルは喚きながら父親の元へと駆けつける。
「父さん、指輪見なかった!?」
「見てないが・・・ないのか? きっと出てくるさ。それより、お前達に聞きたいことがあるのだが」
「何?」
苛立ちながらトカミエルは多分ないけれど、目に付く場所を一通り隈なく捜している。
降りてきたトリアを確認すると、父親はベトニーに昨日言われた通り二人に質問した。
「緑の髪と瞳の娘を知らないか? いや、何だ、ベトニー様が捜しているらしくてな」
横目で必死に家具を引っ掻き回しているトカミエルを見ていたトリア、父親の言葉を聴いた瞬間、硬直する。
反射的に口を開く。
「ベトニー? 誰だ?」
「あぁ、トリアは知らなかったな。この間引越ししてきた富豪ブルトーニュ家の若旦那だよ。昨日トカミエルを連れて食事会へ出向いたら、最後にそう聞かれてな」
「・・・何故捜している」
「さぁ、父さんも突っ込んで聞き様子がなくてなー。知ってるか?」
緑の髪と瞳の娘。
一人だけ、トリアには心当たりがあるわけだが。
知らず、右手に力が入る。
言う必要はない、トリアはそう判断した。
しかし、まさかアニスを捜しているという確証はないにしろ、理由が知りたかった。
富豪が、娘を捜している理由は何処にある?
トリアが唇を噛み締め、俯き気味に「知らない」と呟いた刹那。
「トリアの好きな子が緑の髪と瞳だよね」
「トカミエルッ!」
指輪捜しに没頭していたトカミエルが、そう言い放つ。
弾かれた様にトカミエルを睨み付けると、「ホントの事だろ」と、首を傾げていた。
背中に嫌な汗が流れる。
アニスは人間ではない。
アニスの存在を、街の人間に知られたくなかった。
先日の自分の、トカミエルへの失言を今更悔やんでも仕方がないのだが、悔やまずにはいられない。
「なんだ、トリア好きな子がいるのか?」
「らしいよ。すっごく好きみたい」
トリアの代わりにトカミエルが返事をする。
何も知らないトカミエルを恨んでも仕方がないが、喋り過ぎだ。
アニスが人間ならば、トリアとてアニスの事を話すつもりだった。
だが、違う、人間ではない。
「とりあえず、トリア。その子の事をベトニー様に話して・・・」
「断るっ」
噛み付くように叫んだトリアを、父親とトカミエルは唖然と見つめる。
「その男の目的が分からない以上、彼女の事を話すわけにはいかないっ」
「生き別れの妹捜しとか。昔の恋人捜しとか。そういうことじゃないの?」
そうかもしれないが、だとするならばアニスではない。
ならば、言う必要はない。
しかし、もし。
もしベトニーが妖精の存在を知っているとしたら?
その妖精を多額で取引して、金を稼いでいる輩だとしたら?
その可能性がある以上、アニスの存在を知られる訳にはいかない。
トリアは玄関へと突き進む。
「オレは知らない。何も話すことはないっ」
そう言い捨てて、玄関の扉を開いた。
玄関の前に、白馬に乗った黒髪の男が居た。
トリアを止める為に後を追った父親が、男を見て「ベトニー様」と頭を下げる。
「っ!?」
何故、家の前にいる。
まるで、トリアが緑の髪と瞳の娘を知っている事を分かっていたかのように、その場で馬上からトリアを見ていた。
「・・・お前が双子の片割れか」
「何の用だ」
「緑の髪と瞳の娘を知っているかどうか・・・確認しに来た」
「無駄足だな、オレは知らない」
食い入る様にベトニーを見つめるトリア。
後方で父親が狼狽しているその横を、トカミエルだけが蚊帳の外、というようにすり抜けた。
「指輪、捜してくる」
ベトニーの横を通り過ぎる瞬間、「お前は知らないのだな?」と、馬上から声がしたので、「あぁ、知らないね」と軽く笑った。
躊躇してから、喉の奥で笑うと言葉を続ける。
「トリアは知ってるみたいだけど?」
「トカミエルっ」
双子の弟の怒気を含んだ声に、立ち止まってトカミエルは軽く振り返った。
「嘘は良くないと思うよ」
トリアが、その娘の事をあまり知られたくない様子なのは、トカミエルとて分かっていた。
しかし、昨日からの胸の苛立ちが、消えることなく募って募って、弟を困らせることで発散できそうな気がして。
つい、トリアにとって不利な発言をしてしまう。
トカミエルはトリアを一瞥するとそのまま自宅を出て、友人達がいるはずの中央公園へと駆け出す。
「・・・知っているのか」
「知らない」
ベトニーの問いに、全く頷かないトリア。
父親がトリアの肩を揺さぶって説得しているが、トリアは真っ直ぐにベトニーを睨み付けたままそれ以上何も口を開かなかった。
沈黙が辺りを覆い、緊迫した空気が充満する。
その空間で、ただベトニーとトリアは一歩も引かず、その場に立ち尽くしていた。
雲から一筋の陽の光が、ベトニーに差し込み、トリアの足元の先日の雨で出来た水溜りが風で揺らぐ。
「・・・な、なんか来ちゃ不味かった、かな」
ベトニーの後ろからリュンが顔を出した。
風が、ベトニーとトリアの身体を吹き抜ける。
ベトニーは眩しそうに天から差し込む光を見つめ、次いで水溜りに映るトリアの姿を確認し、風と共に現れたリュンを見て。
口元に笑みを浮かべると、リュンに口を開く。
「お前も知っているだろう、緑の髪と瞳の娘を」
「え?」
「っ!?」
ベトニーの発言にトリアが弾かれたように足を一歩踏み出す。
そうだ、確かにリュンはアニスを知っている。
一番最初に見たのはリュンだ、その後、トリアがアニスに出会った。
驚愕の瞳で自分を見つめるトリアに、確信するベトニー。
「お前達二人が、知っているな。彼女は、何処にいる」
固唾を飲み込み、額から伝わる汗を拭う事無く、トリアは唖然と立ち尽くしたまま・・・。
この男は、何者だ・・・?
キィィィ、カトン・・・。
三人は、何処かで古びた金属が、耳障りな音を立てて動いた音を聞いた。
アニスが川で小鹿たちと遊んでいると、人間の声が聞こえてきた。
慌てて近くの木へと飛び立ち、木の葉に身を潜めて様子を伺った。
耳に届く待ちわびた声、思わず笑みが零れる、トカミエルが来たのだ。
今日は普段より少ない人数で遊びに来たようだ、その中にトリアは居ない。
「でも、ホント綺麗よね、トカミエルの指輪」
オルビスが例の如く、トカミエルの腕に自身の腕を絡ませ歩いている。
指に填められた指輪にオルビスが見惚れていると、他の仲間達に口笛を吹かれた。
首を傾げる二人に、一人の少年がオルビスの背を押し、トカミエルに抱きつかせるように仕向ける。
小さく叫んでよろめきながら、オルビスはトカミエルに正面から抱きつく。
「オルビスに指輪買ってあげたらー? よっ、ご両人っ」
「トカミエルも16歳になったもんなー、もう妻を娶ってもいいんじゃないのー?」
囃し立てる友人達に、もーっ!と手を振り上げて怒る素振りをするオルビスだが、表情は嬉しそうに照れたように笑っていた。
その様子に乾いた笑い声を出すトカミエル。
寄り添ったまま離れないオルビスに悪い気はしないのだが、それでも抱き返す、ということはしなかった。
別に嫌いなわけではないが、好きでもない。
気は合うのだろうが、恋人、となるとどうも違う。
オルビスが自分を好いてくれているのも分かるし、親達が勝手に縁談の話を持ち上げた事も知った。
金持ちの一人娘、容姿だって良い、そして何より自分を好いてくれている。
悪い話ではない、理想的な話ですらある、普通の男なら喜ぶだろう。
しかし、オルビスに抱きつかれると「違う」と思ってしまうのだ。
特にこの森へ足を運んだ時からずっと。
皆が口笛を吹き続ける中、トカミエルはぼんやりと空を見上げた。
・・・違うんだ、この子じゃないんだ。オレの、オレの恋人はこの子じゃないんだ・・・
じゃあ、誰だ?
自身に問いかけてみるが、当たり前だ、返事は帰ってこない。
ぼんやりと遠くを見つめるトカミエルを下から覗き込みながら、オルビスは唇を軽く噛み締めた。
仲は良いはずだった。
街の娘の中で一番可愛い自信もある、トカミエルに分かるように意図的に常に身体を触れ合わせても居る。
トカミエルとて、自分の気持ちに気がついているはずだ。
だが、何も行動してきてくれない。
他に誰か気になっている娘がいるのだろうか? いや、そんなはずは無い。
全力で気持ちをぶつけて来たオルビスは、最近どうにもならない嫉妬と焦りを抱いている。
はっきりと振られてはいないが、それが余計に不安を募らせ、振られた時の事を考えるとあまりにも自分が惨めな気がして。
傍にいたからこそ、分かった、分かってしまった。
友人達は「トカミエルもオルビスが好き」と思っているから、余計に性質が悪い。
オルビスとて最初はそうだった、トカミエルも自分を好きだと思っていた。
トカミエルは、自分に関心がないのだ。
周りの雰囲気で、そしてオルビスの押しで、満更でもないように合わせているだけで、見てくれない。
勝ち組で生きてきたオルビスにとって、初めての敗北感。
まだ敗北したわけではないが、こんな惨めな思いを胸にし、日々打ちのめされつつある自分、今後を考えただけで怖くて。
川で水遊びをしながら、トカミエルとオルビスは一言も口を交わさなかった。
木の上からトカミエルを見つめていたアニスは、自分の頭上の花冠を触りつつ、恨めしそうに時折背中の羽根を見る。
この羽が邪魔だった。
羽根を動かしながら、瞳を伏せてトカミエルを見る。
人間たちにはアニスのように羽根がはえていない、他は同じなのに。
そこだけ、決定的に違う。
トリアはこの羽根に気がついているはずだけれど、何も思わないのだろうか? 今度会えたら羽根について聞いてみよう。もしかしたら、自分の思い過ごしで、羽があってもなくても良いのかもしれない。
やがて来た時間も遅い為か、人間達は早々に川遊びをやめて帰宅して行った。
木から流れるように川へと浮遊しながら、アニスは川に降り立った。
再び小鹿達も顔を出した。
足を川に浸して、水の流れる音に耳を澄ませ、風光明媚なその地でアニスはある決意をした。
不意に、陽が落ちる瞬間の輝きが、川の中で更に眩い光を放っている事に気がついた。
近寄って見てみれば、何かがある。
アニスは首を傾げて水の中に手を入れると、それを拾い上げた。
「これ・・・」
銀色に輝く指輪だった。
いつも、見つめていたから分かる、トカミエルの指輪だ。
先程抜け落ちたのだろう、これを気に入っている事はアニスだって知っている事である。
「大変、きっと探してるよね」
会う口実が出来てしまった。
そう、この指輪をトカミエルに返せばいいのだ。
何処かに置いておく? ううん、見つけてもらえないかもしれない。だから。
直接、渡せば良いのだ。
川からゆっくりとアニスは上がると、手の中の指輪をそっと見つめる。
「アニス? どうかしたの?」
小鹿に話しかけられて、アニスは思わず指輪を硬く握りしめ、何でもないよ、と笑う。
後ろめたい気持ちが湧き上がる。
そう、指輪を渡したい、なんて言ったら反対されることが分かっていたから、アニスは嘘をついた。
嘘をつくのは、初めてだった。
こんな罪悪感に駆られるものだなんて知らなかった。
それでも、嘘をついてその罪悪感が胸を埋め尽くしても。
・・・嘘をつく価値はあるはずだった。
トカミエル、会えるから。
「アニスー、老樹様のとこへ行こうよーっ」
夕日の方角から椋鳥が飛んできて、肩に止まる。
早く飛び立つように促す椋鳥に、申し訳なさそうにアニスは首を横に振った。
その掌の中の指輪を、ぎゅっと握り締め、深く息を吸い込んで・・・一言。
「もう私、飛ばないの」
「え? 何で? 羽根が痛いの?」
心配そうに近寄ってくる小鹿達を撫でながら、違うよ、と笑う。
再度息を吸い込むと、勇気を振り絞って話を続ける。
「ねぇ、羽って抜けないかな?」
「・・・えぇ!? 何言ってるのアニス」
「引っ張ってみてくれないかな? これ、取れたりしない?」
「アニス・・・」
静まり返った動物たちに苦笑いして、アニスは自分で羽根を引っ張ってみる。
・・・取れないし、痛い。
「あのさ、アニス・・・」
「私、もう羽使わないの。人間は羽がないから飛べないでしょ? だから、私も飛ばないの。決めたの」
先程決意した事は、そういう事だ。
それを聞いた途端、椋鳥は産まれて初めて、大声でアニスに罵声を浴びせる。
「酷いや! 僕達よりもアニスは人間のほうが好きなんだ。なんだよ! もういいよ!! 知らないっ」
感情を剥き出しにしてそのまま飛び去る。
今までずっと一緒に過ごしてきたのに、他のところへ行きたいだって? 冗談じゃないっ。
自分達のアニスへの思いが全く伝わっていない事に腹を立て、悔しくて情けなくて・・・寂しくて。
椋鳥は大声で啼き喚きながら、夕日の空を一陣の風の様に舞う。
小鹿達も何も言わずにそのまま森の中へと消えていった。
一人、その場に取り残されるアニス。
こうなる予感はしていた。
それでも、言いたかった。
「ごめん、ね。みんなも大好きだよ。でもね、私・・・」
トカミエルに、会いたいの。
陽は落ちて、急に辺りは暗くなる。
アニスはあの花畑へと一人森を歩いた。
急に現われた雲によって空は覆いつくされて、月が姿を現さない。
暗い暗い森の中を進む。
今日に限って、森の動物達には誰にも会わなかった。
椋鳥がみんなに今の事を話して周っているのだろうか?
みんな、怒っているのだろうか?
花畑まで辿り着くと、またトリアが来ていたのだろう、花が置いてある。
アニスはその花を大事そうに胸に抱え込むと、木の下で縮こまって眠りに就いた。
明日、なんて言おう。
「これ、トカミエルのだよね。落ちてましたよ」
「川で見つけたんだよ。大事な物だよね」
「綺麗だよね、とても似合うよ」
「・・・一緒に遊んで貰えませんか?」
一人、眠りに就く瞬間まで会話の練習をする。
何度も何度も練習をする。
森の動物達とは、もう話すことが出来ないのかもしれない。
それは自分が選択した道でありそれを受け入れる覚悟をしたつもりだった。
そうしてでも、トカミエルに会いたかった。
どうしても、どうしてもトカミエルに・・・。
「トカミエルに、会いたいの」
一番最初に、トカミエルを見て、トカミエルだけを見続けたいの。
・・・名前を、呼んで下さい。
一緒に、遊んでください。
隣に居させてください。
どうか、人間ではない私を嫌わないで下さい。
「私、トカミエルの事が、とても」
好きです。
アニスは唇をそう動かすと、静かな寝息を立てて眠りへと誘われていった。
月が出ない暗闇の中、一人で指輪を握り締め、花冠を頭上に、眠り続ける。
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