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身体が小刻みに震えだす、手にしていた剣が力を失い、腕輪へと戻っていた。
虚ろな瞳で、真っ赤に染まった愛しき人に近寄る。
唇が乾ききって、何時しか切れた唇から血が口へと入り込んだ。
小石に躓き、そのまま倒れこむが、うわ言で夫の名を呼びながら、腕の力で身体を引き釣りながら進む。
「ギルザはね、死なないのですよ?」
だから、あれは違うのです、ギルザではないのです。
そう思い込みながら進む。
服を汚しながら、膝を擦り剥きながら、夫を目指した。
「・・・」
いつも寝所で眠っているときのように、穏やかな顔をしていた。
綺麗な、顔だった。
「ギルザ、起きて。アサギ、来たよ」
ここへ来て、ようやく瞳から涙が零れ始める。
身体を大きく震わせ、歯を鳴らし、髪を手でかき回しながら、絶叫した。
「嘘だ、嘘だ、嘘だっ!! 違う違う違う、ギルザじゃないっ!」
夢なら覚めて。
ここは何処。
一体何なのこれは。
震える腕で、夫を抱き起こす。
暖かい血が、現実だと知らせてしまう。
「やめて、やめて。ギルザを返してよぉ!」
再度絶叫。
山脈に悲鳴が響き渡った。
「ククク・・・面白イネェ? チョット遊ンデミヨウカナ? ドレドレ、アノ女ノ弱点ハ・・・」
何時しかアサギの真上に浮遊する者が一人。
まるでサーカスでも観覧しているかのように、面白おかしそうに笑い転げている。
暗闇で『それ』は、ゆっくりと変貌していった。
音もなく、アサギの後方に降り立つ。
ただ泣き喚いているアサギは、当然その存在に全く気が付いていなかった。
顔を衣服を真っ赤に染め上げながら、喉を潰して涙を流し続ける。
「可哀想なギルザ。お前に関わったばっかりに」
刹那、アサギの嗚咽が止まった。
「お前に関わらなければ、そうして死なずに済んだのに。また人を殺したね、アサギ」
感覚が戻る、研ぎ澄まされて、戻ってくる。
腕の中の冷えゆく温もりを強く抱きしめながら、アサギは驚愕の瞳で振り返った。
唇が微かに動く、声は漏れなかった。
目の前に立っていた男は満足そうに微笑むと、軽く舌を出す。
「久し振り、アサギ。元気そうで何より。相変わらずで何より。また、殺しに来てあげたよ」
「トランシス?」
疑問系でアサギは相手に名前を問う。
嬉しそうに男は微笑むと、右手に剣を出現させた。
紫銀の短髪、濃紫の妖しく光る瞳、凶悪なまでの無邪気な笑顔。
右手に現われた剣は炎を帯びており、剣からぼんやりと熱気が見え隠れしていた。
間違えるはずもない、目の前の男を、間違えるはずがない。
「トランシス」
明確にアサギは口にした。
恐怖に慄き、顔を青褪めさせながら、震える声で男の名を呼んだ。
「また、殺しに来てあげたよ。それが元恋人であるオレがアサギに出来る唯一のコト、かな」
「こ、ここには来られるはずがないのですっ! あなたは今監禁されているはずなのですっ。封印にはみんなが力を出し合って・・・」
「そうだよ、監禁されていたよ。可哀想なオレ。アサギのせいで、狂ってしまった、と思われたオレは無理やりアノ場所に閉じ込められた。苦しい生活だったよ。でも、終わったんだ。・・・トビィ含め全員、オレ、殺しちゃったから」
にっこり。
無邪気に微笑むと、トランシスは右手をゆっくりと掲げた。
剣から炎が噴出し続ける。
あの剣は知っている。
炎と土の属性を帯びた、灼熱の剣だ。
「だから、アサギも死んで? とっとと消えろっ」
勢い良く力任せにトランシスは剣を振り下ろした。
大声で笑いながら、愉快そうにアサギを見下しながら。
「セントラヴァーズっ!!」
左手にギルザを抱えながら、右手で剣を持ち直すと、そのままトランシスの剣を受け止める。
重くて鈍い衝撃が右腕に走った。
不意にボルダームで、仲良くなったヨーコ様との剣技の練習が脳裏を過ぎった。
彼女と練習をしていなかったら、この太刀は受け止められなかっただろう。
顔を痛みに歪ませながら、アサギは必死に伸し掛かる重みに耐える。
「その左腕の死体、離したほうが身のためなんじゃないかな?」
キャハハハハハ! 笑いながらトランシスは左足を蹴り上げる。
慌ててギルザを抱えながらアサギは地面を転がり、辛うじて剣と足の蹴りから逃れる。
「死体ではありませんっ、絶対に離しませんっ!」
「邪魔なだけだよー? その状態でオレに勝てるとでも?」
鋭い速さで、トランシスはアサギの目の前に移動してきた。
え? と軽い声を上げた後、耳元で「邪魔」と声が聞こえ・・・。
「かはっ!」
腹部に鈍い衝撃。
どうやら拳を叩き込まれたらしい、咳き込みながらアサギは地面に蹲る。
「可哀想なギルザ。お前に先程名を呼ばれなければ死なずに済んだのに。だって強いんだもんね、アサギのギルザは。お前が足を引っ張ったんだよ」
咳き込み続けるアサギの腹部を今度は蹴り上げた。
「可哀想なギルザ。お前と出会わなければ死なずに済んだのに。可哀想なギルザ。アサギを愛していなかったのに。最悪のとばっちりだよね、キャハハ」
髪を掴まれ、無造作に轢き釣り上げられる。
腹部の痛みで意識が朦朧としているアサギの顔を、トランシスは覗き込んで、こう囁いた。
「オ前サエイナケレバ、ミンナ、幸セダッタノニ。結局前ト同ジダヨ? 所詮ギルザモ愛シテクレテイナインダヨ? ダッテオ前ハ命ガナイ出来損ナイダカラ。愛スル資格モ愛サレル資格モナインダヨ? 早ク気ヅイテ早ク死ネバ? 」
瞳が妖しく光る。
オイデオイデ、闇ヘオイデ。
ククククク・・・、笑い声がアサギに届いているのかいないのか。
力を失くして剣を地面に落とし、瞳すら開いていないアサギを、この上ないご馳走を前にした子供のように、ソレは笑っている。
声が聞こえた。
――アサギが居るから、オレはオレで居られるんだ――
アサギは耳に不快な甲高い声に目を覚ました。
が、精神を揺り起こさせた声はそんなものではない。
ギルザの声が確かに聞こえたのだ。
――愛しているよ――
カシャン・・・。
地面に何かが零れ落ちた。
怪訝にソレは、落ちた光り輝く物を目を細めて見つめる。
アサギも虚ろな瞳で、それを見た。
ギルザがくれた、腕輪である。
綺麗に光るその腕輪の光は、何処となくギルザに似ていた。
「ギルザ・・・?」
アサギは小さくそう呟いた。
「ナンダ、マダ意識ガアッタノカ? ナカナカシブトイナ・・・」
無理やり顔を上げさせると、アサギの表情を伺う。
気が付いた時には、ソレは小さく悲鳴を上げた。
「あなたなんて、知らないっ! ギルザはそんなこと、言ったりしないっ!」
渾身の力を込めて、アサギは右手でソレの頬を勢い良く平手打ちした。
瞳に光を取り戻し、アサギは腕輪を大事そうに再度填めると、面食らっているソレに向けて真っ直ぐに、両手を向けた。
ちっ、舌打ちして、ソレは闇へと消えようとする。
『・・・モウ少シダッタノニ』
逃がさないんだからっ! アサギは鋭く叫んで完成させた魔法をソレへと向けて放つが、ソレは笑いながら闇へと消えていった。
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